2013年5月、私は東京のコカリナ教室へ通っていました。コカリナは木で出来た小さな笛です。陶器で作られたオカリナと構造が似ています。仕事を辞めてから始めた音楽は、新しい趣味で生きる世界へと私を導いてくれました。稚拙な進み方ながら、大勢の仲間とアンサンブルで奏でる音楽の楽しさや喜びに浸っていました。その上、真冬の空いている劇場とはいえ、ウィーンの楽友教会やニューヨークのカーネギーホールのような大舞台に立つ機会まで与えてもらいました。私の人生の奇跡とも思える出来事です。
 
 その教室で茨木の友人が何かの会話の途中で「......カーブス......」という言葉を発したのです。初めて聞くその言葉に私の心がピーンと跳ね上がりました。「それって何?」世間の狭い生き方をしている見本のような自分に、第二の奇跡の始まりでした。家に帰ってから、同居している息子の奥さんに調べてもらって、バスで通える街の中心部に教室があることを知りました。
 
 音楽と共に運動も苦手で、体育と聞けば、人の後ろに隠れるように逃げて来ました。社交ダンスやフォークダンスの会に所属したこともありますが、人と比べられることが苦手というより、自分が人と比べて劣るという意識に翻弄されていたように思います。
 
 学校を出てから定年まで、職場しか知らない日々を送ってきました。人間としての幅もいかに狭かったか思い知ります。運動神経に乏しく、身体を動かすことに臆病な私は運転免許も持っていません。自転車には乗れても歳をとってからは、道を走るのがだんだん不安になって、一年前に友人に譲りました。
 
 私にとって、生きることは歩ける身体を維持することです。早朝の散歩をして、週2回から3回、同じ道を歩いてその時々の季節の風を身体全体で受け、空気の匂いを嗅ぎ、同じ時間のバスに乗って教室に来る。もはや欠かせない私の日常です。行動することは人と対話することにも繋がります。コーチの笑顔に迎えられ、すでに来ている人々と挨拶をする。生活のリズムが整えられ、今生きていると実感できる喜びで満たされています。仲間の人々を意識して眺め、ともに同じことに努力している姿に勇気づけられます。
 
 カーブスとの出会いは遅かったかもしれません。でも衰えていく肉体を支えてくれる大事な要素であることを教わりました。この歳でも、若い人々と同じ運動の出来ることが誇らしい。コーチの指導を納得して聞けるのが嬉しい。必要に迫られた密度の濃い日々であることが実感できます。
 
 歩けるからこそ、コカリナ教室位通うことも、舞台に立つことも可能です。月2回の東京通いは少しも苦にならず気分転換にもなります。一方、コーラスもやっているので、筋肉運動の腹筋のおかげで、声を出すことが容易になったのは、本当に嬉しいことでした。コロナ禍の中でもみんなで声を合わせて歌うことが出来ました。3月末には宇都宮合唱祭で文化会館の大ホールの舞台に立ちました。
 
 自分の意思を行動に移せることで、充実して生きている毎日です。先の事はわからなくても、今の私は輝いていると思っています。
 
 2023年5月、間もなく私のカーブス10年目の記念日がやってきます。