私がカーブスに通い始めて7年あまりの歳月が流れた。今では我が身の変化に気づき、それが励みとなって、せっせと通う私がいる。

 子供の頃から細身で「胃下垂だから、太れない」と思っていた私。服はいつも9号サイズ、運動はキライ、本を読んだり、手芸をしたりの日常。
 50歳を過ぎた頃から、「お腹に力がはいらない」と不調に苦しんだ。「体が支えられない」といくら説明しても他人には理解できない。スカートのベルト、下着のゴム、どんなものでもお腹に食い込んで苦しい。お腹が支えきれないのだ。茶碗をもってご飯を食べる時、お盆にのせて何かを運ぶ、傘をさす等の姿勢、何もかも苦しく、買い物の荷物さえ提げられなく、すべて肩に掛けた。医者も首をひねり、広告につられて腹圧ベルトやコルセット、何でも試したが効果なし。お腹に力が入らない、支えられない、背は曲がっていく。それでも当時の私はボランティア活動、趣味の教室通いにと多忙だった。ボランティアは「来日する企業研修生の日本語トレーニング」これが私の経験と性格に合っていたのか、日々飛び回り、帰国した研修生に呼ばれて中国やベトナムにも行く行動力だった。

 そして2016年秋、カーブスオープンに巡り会った。「腹筋を努力しましょうね」とコーチの言葉。あの頃の私はみるも無残な姿勢だったのか、腹筋力のない自分の姿を知らなかった。カーブスでの運動時「チェンジ」で隣に移ると、私の後ろは一つ空いていた。私の動作が緩慢で支障が出ていたのも知らなかった。
 プロテインも毎日飲んだ、でも効果が現れない。カーブスを休みがちになる私に夫が言った。「一人一人違うんだ、短気を起こさず、がんばれ」
 そしてあるとき気づいた。あらら、ヨレヨレと動いていた太もものの筋肉が締まっている。「成果だ!」「カーブスのおかげだね」私の報告に夫が言った。それからは次の成果を求めてカーブス通いの日が増えた。

 我が家は夫婦二人暮らし、「体に良い食事」ではなく「好きなものを心地よく食べる」傾向だった。偏食の多い私は「鶏肉、豚肉、ネバリモノはキライ」と食卓に上がらなかった。しかし、カーブスで「タンパク質」の必要性を説かれ、朝食にヨーグルトを並べ、牛乳、チーズも積極的にとるようになった。「ヨーグルト、チーズ、肉も食べたね、今日は何点かな」と夫が笑う。

 コロナ禍の3年間、いろいろなこともあった。電話一本で集まった旧友との食事会ができない。20年以上続いた趣味の会も惜しまれながら解散した。でも、昨年末には嬉しいことがあった。「僧帽弁閉鎖不全症」という心臓大手術を13年前に受けている私。「Sさん、よく頑張った、もう、良いでしょう、卒業です。これからも運動は続けてください」医師が言った。山の彼方に富士山が見える。
 あの、手術日も富士山が見えていた。「Sさん、富士山が守ってくれましたね」と言った外科部長。お人柄の良い医師だったが、今は九州でご活躍とか。元気になった私の姿を見てほしいと思った。

 私はカーブスに巡り会って、健康も食生活も軌道修正の努力をした。「腹筋の大切さ」を忘れずに運動を心がけよう。カーブスは運動だけではなく、仲間と笑顔を交わす喜びがある。コーチの声かけに救われて、私は通う。
「来たい場所」壁に大きく掲げている「金沢文庫駅前店」へ。