昨年の夏、娘が里帰り出産のため、わが家に二ヶ月同居していました。娘は、年子出産を夢みていました。娘の望み通り、上の子が一歳四ヶ月で第二子を出産することができました。
 娘が入院中は、娘のダンナ様が産休をとり、孫(長女)の面倒をみてくれました。娘が手作りの離乳食をいっぱい作り、冷凍室に保管し、解凍の仕方をノートに書いて、渡してくれました。私は、メニューを確認し、離乳食を解凍して器に入れ、それをダンナ様に渡し孫に食べさせてもらいました。孫(長女)は、ママがいない寂しさの中、パパと二人で楽しそうに食べていました。孫(長女)は、パパっ子なので、その光景を見て私もホッコリでした。
 上の孫は、今一番かわいい時、そして一番手がかかる時期でもあります。甘えたいし、ママは下の子に手がかかり甘えられず、ぐずり泣き出す毎日。おもちゃが散らばり、引き出しから物が出され、タオルが散乱。床の上は足の踏み場もない位の状態。孫(長女)を叱ることはできないので、大人が知恵を出し、引き出しが開かないようになり、ゴミ箱は手の届かない高さに移動しました。
 娘が下の孫を抱っこすると、上の孫が私に抱っこと手を差し出します。十一キロを過ぎていて抱っこは大変......私は自分の右手首(骨折してプレートが入っている)が心配で孫(長女)の思う通りにできないので、ぐずりだすことが多く、娘に対して申し訳なく思う日々でした。
 
 私は上の孫が生まれる一年半前に、右手首を骨折し入院しました。術後のリハビリは、"進みが早いですね"と医師に言われ、筋トレのおかげだわとうれしくなりました。でも一年以上経過していましたが、孫(長女)を抱っこする怖さが消えず自信がありませんでした。これではダメと反省して、孫(長女)の首がすわり半年が経つころから、少しづつ抱っこするようにしました。
 
 洗濯は、一日三回以上、洗濯物を干すため階段の昇り降りは五往復以上。使い捨て紙オムツも二人分。使用済の紙オムツはすごく重くなり、ゴミ集積所までは、両手で持ち二往復。重くて途中でひと休みします。娘の子育てのお手伝いができるのも、筋トレのおかげです。
 
 私の通っている店舗は、カーブスの中でも珍しく百貨店のワンフロアーに二店舗入っています。EAST・WESTとあり、私はWESTに通っています。時々コーチがお隣から出張して来る日もあり、たくさんのコーチとの出会い・会話ができ情報もたくさん聞くことができます。いつもコーチの笑顔と励ましのことばに通うこと七年。暖かいコーチ達の眼差しで、あっという間に七年が経っていました。
 
 真夜中、ふたりの孫の泣き声で目がさめる。下の孫を私が抱っこして、娘は長女を寝かす、そして長女が眠りについたらバトンタッチ。娘は、ぐっすり眠ることができず、少々お疲れ気味。私も老体にムチ打ってとりあえず毎日家事をする生活です。
 
 仕事仲間に声をかけられて健康維持のために入会したカーブスでした。現役中、指二本腱鞘炎になり仕事に支障がでるため、その時は手術をしました。その後、仕事を終了してから、また指三本が腱鞘炎になりましたが、筋トレのおかげで知らず知らずのうちに治っていました。朝の情報番組で"すべての筋肉は関節を動かすためにある"と言ってましたがその通りでした。
 
 娘たちは、二女の一ヶ月検診が終わって、自分たちの住み家に戻りました。その後は、私が週二泊三日で娘たちの元へお手伝いに行き、二重生活の始まりでした。娘の予定で朝早く行く時は、通勤・通学の満員電車の中。帰りが遅くなると、また満員電車の中。大きな荷物を持ち腹圧を意識しながら通っていました。
 三ヶ月が過ぎて年が明けてからは、週一泊となりました。筋トレに通い、体力がついてきたため乗り越えることができました。まさか七十歳を過ぎて、孫の誕生とは?私にとって予想外でした。人生とは、何が起きるかわかりませんね。筋トレで体力がつき疲れにくくなっていた自分の身体。筋トレの大切さをまわりの人達に話しても、個々に自分の生活があり、趣味があり、時間の使い方は人それぞれですね。
 私は、これからも筋トレの日々を重ねて数年後、孫たちと旅行に行けたら良いなぁと、夢みている今日この頃です。