「橋本さん、血糖値が高いので、これから入院してもらいます」私は、訳が分かりませんでした。

 今から、1年3か月前、2023年1月、松の内が明けたばっかりでした。まだまだコロナの患者が多く近くの病院は空きがないというので、自宅から遠く離れた聞いたこともない病院へ行くことになるそうでした。不安しかなかったです。

 さかのぼること2022年の11月くらいから、体がとても疲れやすくなっていました。味覚が変わり、口の中がとても苦い感じがしていました。自己判断で亜鉛欠乏症だと思い、亜鉛のサプリを飲み始めたところでした。あまりにも私がつらそうなので、夫が近所のクリニックへ連れて行ってくれました。たいしたことはない。ちょっと疲れやすくて年のせいだと思っていました。でも少し、不安なところがありました。亡くなった父が糖尿病で、91歳で亡くなるまで、ずっとインスリンの自己注射をしていました。 まさか、糖尿病なんて、、、というより自分に来るべきものが、あ来たかという思いでした。仕事を定年で辞めてから家でゴロゴロ。おまけに健康診断を会社で受けることがなくなっていて、病気の気配を感じることができなかったのです。

 クリニックへ行って先生に宣告を受けて、その足で自宅にすら帰れず、そのまま夫に連れられてはるか遠い病院へ入院することになりました。 入院中は食事をとった後、病院の廊下を往復して、そのあとカーブスのストレッチをしました。すると驚くことに、血糖値が下がり、看護師さんから追加のインスリン注射をしなくて済むようになりました。カーブスのストレッチをしていると、ほかの患者さんから教えてほしいと言われました。一緒にストレッチをして、「私が退院した後もこれを見てね」と言って、カーブスのスマホのストレッチを教えました。

 退院してからが大変です。運動と食事療法の毎日です。 退院した翌日からカーブスへ通い、カーブスへ行かない日はスマホの動画を見て一緒に運動をしました。カーブスへ久しぶりに行くと、カーブスのメンバーさんが一生懸命ワークアウトをしているのを見て、とてもうれしく思いました。「みんなも頑張っている。苦しいのは自分だけじゃない」そう思えました。
 それから、ネットで検索して知った腕につける「リブレ」というセンサーをクリニックの先生に頼んで付けることにしました。ボタンの大きなようなものを腕につけます。中に小さな針がついていて、腕にガチャンと貼り付けると、そのセンサーにスマホを当てるだけで血糖値が測れるという優れものです。このセンサーを付けてからカーブスでワークアウトするのが楽しくなってきました。運動前に血糖値を測り、運動後にまた血糖値を測ると、数値が下がっているのがはっきりとわかります。これはやりがいがとてもありました。数値がどんどん下がるので、インスリンの自己注射も3か月後にはしなくてよくなりました。そして、10か月後にはとうとう薬もやめることできました。本当にカーブスに通っていてよかったと思いました。

 私は12年前、この地にカーブスができた時からのメンバーです。なんと、メンバー2番です。その当時、私はカーブスのあるショッピングセンターの職員でした。ジムが自分の勤めている職場内にできると聞いて、とても楽しみにしていました。それで、体験会に同僚を誘って出かけました。でもその時、こんなに長く続くとは思ってもいませんでした。仕事を変えた時や、家族の病気、母の介護、そして自分の糖尿病、この12年間いろいろなことがありましたが、どうにか続けてくることができました。仕事を午後3時に終わった後、家族を迎えに行かなければいけないときは、お昼休みにカーブスへ行って、そのあと15分でお昼ご飯を食べるということもしました。コロナ前は、実家に母の介護に行くときには、トリップパスを作ってもらい、実家の近所のカーブスへ通ったこともあります。 続けてきてよかった。病気の後は本当にそう思います。