私の家庭では、家族全員に運動習慣がありませんでした。私の父は、ビールをよく飲み、タバコも一日百本以上吸うような不健康きわまりない生活をしていたので、体重は軽く百キロはありいわゆるビール腹でした。私の祖母も、パーキンソン病で私が三つの頃から二十二年間も、ほぼ寝たっきりの状態でした。私の母は、私が三つの時に私の祖母の世話をするのが嫌になり、父と離婚して若い男とかけ落ちしたのです。ですから、うちでは、家事をする人がいなくなり、たまに伯母が手伝いに来てくれるか、どうしてもしかたがない時には、お手伝いさんを高いお金を払って頼んでいました。在宅介護だったので当時は介護保険制度などなく、経済的にも精神的にも私の父と私はいつも大変な思いを味わっていました。私は今でいうヤングケアラーだったのです。
 私も運動で体を鍛えていなかったので、大学四年の時、精神的に疲れ果てて身体も心もボロボロになって大病になり東京の大病院に半年余りも入院して、大学は留年するわ、肝心な就職さえもダメになってしまい、二十三歳の若さで私は人生に絶望を感じました。何の希望も見いだせずにいました。
 
 私が二十五歳の時、二十二年間難病を患っていた祖母が亡くなり、ほっとしたのも束の間、その七年後には、父が今までの過労がたたって脳血栓で突然倒れ一か月入院生活を送ります。結局、私は希望していた教職には就けず、体力もないので正規の仕事にも就けず、父の介護をしながら短期間のアルバイトや病気がちな父と時々二人でイベントの仕事をし、ご先祖様が苦労して遺してくれた大切な土地を切り売りしてなんとか父子二人暮らしてきました。
 
 父が七十四歳の時、今度は心筋梗塞をおこし父は救急車で運ばれそのまま入院。先進医療のいい病院だったので、命だけはとりとめたのですが、その後も入退院をくり返し、徐々に弱っていき五年間寝たきりで、八十九歳で、亡くなりました。
 私は最愛の父が亡くなったというのに、放心状態で一滴の涙も流れませんでした。振り返ってみると、私は祖母二十二年間、父二十二年間、合計四十四年間という人生の大半を家族の介護に時間を費やしてしまっていたのです。その数年後には、唯一話し相手だった伯母も亡くなり、私は夫も子供もいない天涯孤独の身の上になりました。
 
 そんな頃、公的機関を頼って知り合った、市のCSW(コミュニティソウシャルワーカー)の方が「カーブスというのが、近くにあるから気晴らしに行ってみたら......」と親切に勧めてくださいました。私は小さい頃から運動が苦手で、部活も文化部ばかりのインドア派でしたが、永年の介護生活から解放され自由になったので、心の中では、思いっきり運動をしてみたいという気持ちが自然に沸いてきていたのです。
 実際にカーブスの会場に行ってみると、コーチの方々が、満面の笑みで温かく迎え入れてくださいました。一~二回通ううちに、私の名前もしっかり覚えてくださり、下の名前で元気よく呼んでくださるので、とても親近感を覚えました。店内も明るい感じで、みんなBGMに合わせて、楽しそうに筋トレを伸び伸びとやっている印象があって、今まで介護に疲れていて沈みがちだった気持ちも、すっかり晴れ晴れとしてなんだか人生が楽しくなってきました。周りの会員の方々も、皆、礼儀正しくて、意地悪な人たちなど一人もいませんでした。私は、カーブスのファンになり、コーチの方々も大好きになりました。何よりコーチが褒めてくださるのが嬉しくて、苦手だった運動も頑張ってやろうという意欲が沸いてきました。
 
 私は入会前、生活習慣病でポッチャリ体型だったので、体重はマックス八十五キロもありました。このままでは長生きできないと、ダイエットも考え「カーブスの食卓」にも参加しました。その時の資料が手元に残っていたので、恥ずかしいですが発表します。

「カーブスの食卓」スタート時
体重77.6キロ
体脂肪45.9%
おなか117センチ
一ヶ月後
体重70.9キロ、マイナス6.7キロ
体脂肪42.3%、マイナス3.6%
おなか109センチ、マイナス8センチ

 「カーブスの食卓」に取り組む理由として、体重を少しでも減らしたい。でも、筋肉量は増やして体脂肪を落としたい。よかったこと、嬉しかった事の欄には、体重が6キロ以上減った。楽しく痩せられた。悪玉コレステロールが減り、糖尿病のA1Cの値が、6.7から6.3になり正常に近くなった。コーチに褒めていただいたので、やる気になった。一緒に頑張った仲間へのひとことは、仲間がいたから頑張れたなどの記入があった。
 私は、「カーブス」のお蔭で心も体もすっかり健康になりました。ありがとうございます。
 
 去年のお正月に行われたプリンセスパーティーにも出席しました。そこでは、コーチたちの楽しいアトラクションもあり、私は二回も表彰されました。
一つは、コロナ禍に筋トレスタートしたで賞
二つ目は、二年継続賞
いづれも、令和五年一月二十九日付で、店長Nコーチの名前があり、カーブスのクラブ名が書いてありました。
 
 そして今年、カーブス二〇二四表彰状も頂きました。カーブスに入会してから、もうかれこれ三年以上経ちました。カーブスは、すっかり私の生活の一部になり、なくてはならないものになりました。カーブス命です。もっと早く知って入会していたらと悔やまれます。近頃は、男性専用のカーブスもできたというので、父にも伯母にも、祖母にもカーブスで筋トレしていたら、病気に苦しまず、もっと健康的な生活が送れたのではないかとさえ思っています。私は運動の重要性を認識して、これからも経済的に許すかぎり、そして一人で歩いて通える限り、カーブスを継続したいと考えています。いつまでも、筋トレとタンパク質をとって、できる限り健康長寿を伸ばすことこそが、今の私の目標です。