私は、カーブスをオープン三ヶ月後に知り、二つ年上の姉と二人でおためし体験、その場で入会しました。
二人は昔から趣味も合い、映画やママさんバレー、バトミントン、何でも一緒に行動して居ました。家も近いし職場も同じで、周りからは仲良し姉妹と見られて居ましたよ。その上にK市で一番最初にチームが出来た「ヨサコイ」に最初に二人で入り、何年も青春して居ました。そのチームも有る事情で解散したので何か運動したくて...。又はしないと何が良いか色々探して居た所でした。
私の娘が長野に居まして、そこに遊びに行った時、娘が通っていた、多分日本で立ちあげたスポーツジム、ビーラインと言う所で体験して来て、これ本当に良いと思いました。帰宅して調べたら何とその年の七月にA町に、オープンしていた、カーブスにめぐり逢えたのです。週に二回と言わず毎日通えたので、仕事帰りもほぼ休まず、日課にして筋トレに励みました。
仕事もいつしか定年になり数年も過ぎ、カーブスも私達がすっかり古株になり...考えてみたら、二人は出勤日数で言えばスタッフさん達より優秀だと思います。
そんな中、ある日突然姉が二度目の脳の病気、入院・手術。二度目なので姉の家族も、入院したばかりなのにあきらめたのか?姉のカーブスの会員カード・運動靴・Tシャツも全部処分されてしまいました。
でも姉は、本当に辛いリハビリを頑張って、真面目にしていたから凄い回復力で先生や看護婦さん達に褒められて居たみたいです。無事に退院出来ました。その後はリハビリの為に数年も病院通い続けて居ます。左半身にマヒが残り歩くと少しビッコを引いて居ます。だからそれから必要以外には、外に出たがらず近所の散歩さえもしませんでした。それから数年の間、私はひたすら一人でカーブスに通いそれなりに筋トレしていましたが、ある日、カーブスのテレビコマーシャル出演を頼まれたのが嬉しくて、姉に放映を見て貰って居る内にA町の店長のYコーチが写った時、姉の目が輝いたのです。なぜかと言うと、Yコーチは私達より数年後、二十才の時にカーブスに入り、その後結婚・出産とずーっと私達は見守って、Yコーチの産休と姉の病気が同じ位だから、その時は大変なつかしかったと思います。Yコーチが居るなら、もう一度カーブスに行こうかなぁーと姉がつぶやいた時、私はヤッターと飛び上がる位嬉しかったです。
八年前姉の会員№222でした。あの時処分しなければそのまま使えたのに...ゾロ目で大変良い番号だったのに...。再発行の番号は1165に。その番号と番の間に姉の生きてきたさまざまなドラマを、私は沢山見てきたし知っています。
それを乗り越えて、今ではカーブスの仲間達も、私達姉妹いつも一緒が当たり前で、たまに一人で行くと、誰かしら今日は、お姉どうしたの?と心配してくれます。私達は二人で一人のセットです。
いつまでも、このまま二人で通える様に、私達次第でもあるわけだから、頑張らないとと考えて、いつも何を行うのにも面倒くさがらずに意欲的に動いて生活して居ます。