カーブスエッセイの募集が始まって、もう十年近い応募、投稿になる。あの六年前の幻の投稿となってしまった以外は、拙い文章ではあるが、カーブスへの思い、感想等、毎年書いて投稿した。前号のマガジンに投稿皆勤の方の名前が載っていたが、幻の投稿となってしまった作品が届いていれば、私も皆勤であったと自負している。ポストへ投函寸前の切手を貼ってきちんとバックに納めたエッセイは、あの忌わしい深夜の火災で灰になった...。
 明日、カーブスへ向う途中のポストに投函するはずであった。原因がわからずの火災で、主人亡きあと、やっと自分のものとなった我が家は、私の目の前で焼き崩れて何もかも私から奪った。最愛のつい先程迄「お休みなさい!」と二階へ上った五才の孫の命を奪った。翌日、雨の降る中で、二階で寝ていた孫の女児、五才になったばかりの小さな亡骸は下のキッチンに落ちてみつけられた。母親である娘の嘆きようと慟哭はいつ迄も続いた。

 あれから丸六年経った。もうまもなく孫の七回忌を迎える。家中の物、家中の者達が何も持ち出すことが出来なかったのに、私だけがしっかりと携帯電話を握っていた。亡くなった孫が貼ったパンダや花や鳥、待ち受けの画面は、孫同士が遊んでいるスナップ写真であった。百軒以上の知人や参加クラブ、親戚への連絡がこれでとれ、奇跡としかいいようがなかった。きっと亡くなった孫が、私の手に握らせてくれたと私は泣いた。アリガトね。
 そして、焼けただれた皮膚の移植、腰が砕けてしまった。高校を卒業したばかりの上の孫達も、現在の医術のありがたさと若さであろう、日に日に回復した。そんな中、年嵩の私が、素足で飛び出して煙を喉に吸い込んだもののスリキズ一つなかった。ただただ異様な声で孫の名を叫んでいたという。
 うっすらと開いた眼に白い壁が写った。気を失って運ばれた病院のベットの上だった。何もかも失くして寝て起きて逝ってしまった孫への申しわけなさに打ち沈んだ。沢山の方に助けられた。三百六拾五日、サンビャクロクジュウゴニチと歌った孫の声が耳から離れなかった!昼間はいい。だが、一人の夜のせつなさは骨身にこたえた。一ヵ月、二ヵ月と過ぎ、少し日常が戻ってくるようになるとアレッ何か忘れものをしているように思えた。サイクルとしてやっていたことが呼び戻してくれている。そう思った。慕うM先生が、大丈夫、彼女は絶対戻ってくる!と言ってくださったとか、まずカーブスが頭をよぎった。あと何ヵ月かでプラチナのカードをいただける筈であった。四ヶ月半を欠席していた。
 
 世の中はコロナ蔓延となった。私が四ヵ月半後に復帰したカーブスの最初の計測日、担当のSコーチが、なんだコリャッ!化物だあと肩をたたいてくれ、そして涙ぐんだ。七十七才の私の体力年齢が二十代前半だというのだ。...?椅子からの片足立ち、あお向きに寝て半身起き上る、まっすぐに腕を延ばしての距離等の計測の結果であった。スクッとまっすぐ立つ椅子からの片足立ちは三十秒の間に二十五・六回は出来ていた。半身スクッと起き上がるのもあまり苦ではない。しかし、これ全てカーブスのおかげです。
 
 最初、ちょっともの足りなさを感じていたカーブスのカリキュラム、もっときつい運動でも耐える自信はあった。若いコーチよりも私の方がスポーツ経験長いしなど、三十分の時間では物足りなさが起きていた。だが、休会していた間に生活が落ち着いてくると同時に体力、筋力がぐーんと落ちているのを実感。
 まだまだ生活のリズムがきちんと回ってきたわけではないけど、手足のダラーッとした筋肉の落ち、前かがみのくせ、シャキッとしない背スジ、毎日毎日声をかけてくださっていたコーチ達の、腹圧を入れて、背スジをのばしての声が聞こえました。
 ありがたいことに新居は十階建、団地の八階です。時間をみつければこの階段の上り下りをした。途中スクワットで体を整える。これなら人知れず雨の日も風の日も出来た。小さなラジオからのラジオ体操も続けた。タンパク質の大切さを耳に残る程教えてくださったのもカーブスです。
 
 もともと元気者で通っている私です。カーブスへ復帰できた時は本当に嬉しかった!
 家族のように迎えてくれたコーチの方達、沢山の会員の方達、素晴しい環境の中で育てていただいていたのを再確認しました。何事を始めるのも、素直に受け入れることの大切さ、投げ出さない、途中であきらめない事を教えてくれたのもカーブスへ通い、日々のトレーニングで身を持って知りました。ささやかでも続けるには、ほんのちょっぴりの自身への負荷と、重荷にならない努力は必要と思います。一つ一つのマシンが、正確に使えばきちんと応えてくれる効果、このマシンの効果のことも二年前に綴りました。二〇二〇年には準賞をいただきましたが、コロナでの余儀無いカーブス休会後、その最中に、元会員だった方を訪ね、カーブスで教えてもらったタンパク質の大切さ・筋力の大切さをずっと忘れずに綴ったエッセイにいただいた賞でした。筋力トレーニングの大切さは、いやその前に、年を重ねる度に減っていく筋肉は、どんなに口でしゃべっても、自身の実行以外の何者でもありません。
 まず一番は太陽に当たることです。朝カーテンを開き、太陽に向かって深呼吸する。ラジオからの体操をする。きちんと出来なくてもいい。足踏みだけでもいいのです。朝食を取る。ワカメの沢山入った味噌汁をいただく。私は朝からでも肉オーケーですが、面倒ならば、白い粥にシーチキンと胡麻ふりかけたりして、空のお腹でのスポーツは避けます。無理をせずということです。
 
 続けていくことの大切さ
その後、原因がよく分からずの、ガバッと突然起きた肉離れ様な大腿四頭筋に走った痛さ、右足だけの治らない痛み、痛み止めの薬を頼りにドクターストップがかかる有様。今度は十六年を目前にして八ヵ月の休会となった。だがこの私、じっと時を過ごしたわけではない。時間のありがたさ、もったいなさは重々知っている。歩ける。自転車が漕げた。家で足をバタつかせ、スクワット運動も続けた。もちろん階段の上り下りもした。スクエアダンスにもできる限り出席した。大正琴の舞台もコーラス発表会にも参加した。いや出来た。継続は力なり、筋肉の大切さを頭にたたき込まれて覚えたのもカーブスです。誰もが年だからと口に出す。加齢に負けない、骨を守る骨育も大切さを覚えたのもカーブスのおかげと思っています。
 内臓脂肪を燃やし、筋肉をつける為の知恵、いろいろな病気へのサポート等、やさしく教えていただきました。筋肉はいくら貯めても賞味期限が無い。だから沢山沢山筋肉を貯めて、高齢でも年よりずっと下の年代の体でいられるようにと思っています。気負ったっていいじゃない!わたしはこう思います。いつも思ってます。マシンはなるべく正確に使う、自分のリズムをみつける。カーブスの名が示すよう、健やかでしなやかな体を保てる様に二百才目指して!無理!そんなことわかっていますよ、だけどそうなればギネスもんだとしなやかに考えています。