カーブスのボードで足踏みをしながら、窓にくっきり見える青空の磐梯山。若い頃に登り大好きな山です。もうひとつ好きな山が日本一の富士山です。そして私には大好きな富士山に登るという夢があります。
介護の仕事をしている私はいろいろな高齢者と出会います。元気な方、認知症の方、そして車いす生活の方、寝たきりの方がいます。将来自分がそうなりたくないという思いからカーブスを始めました。始めた頃より体重が減り身体も引き締まり、冬に引いていた風邪もひかなくなりました。
でもこの年令での富士登山は無理だと思っていました。
それに追いうちをかけるように仕事の帰りに坂の雪道で足を滑らせて転び右足の膝から下の2本の骨を折ってしまいました。入院して膝からセラミックの金属を入れ、足首の骨を数本のボルトで止めるという手術をしました。膝が曲げられず、正座もできない状態で松葉杖を使ったりもしていました。退院後、病院へ通いながらリハビリをしていました。カーブスで使っているようなマシンで同じような事をしていたので医師に話しをすると「カーブスへ行きどんどんやってもいいですよ」と言われリハビリの一貫だと思いカーブスの階段の手すりをつかみながら上り下りをして通いました。コーチも気を配り見守ってくれて「あせらずゆっくりね」と声をかけてくれました。すると動きも痛みも少しずつ良くなり仕事にも復帰できました。
骨折して一年位してから、娘の家族が夏休みに富士山に登るという話を耳にしました。私も行きたいと思いました。夢が目標となり、仕事の合間や帰りにカーブスへ通いマシンを精一杯、お腹に力を入れて動かしました。「今日も中抜け」とコーチに言われるほどでした。徐々に正座もでき、早足でも歩けるようになりました。
いよいよ富士登山を決心して医師に話しをしました。「とても治りが早くて驚いていたのに富士登山をするのですか」とびっくりされましたが「登山は大丈夫ですが、くれぐれも無理をしないように」と許可をもらいました。娘の夫は内科の医師で学生時代は登山部にいて富士山を5回も登り具合の悪くなった人を背負って下りて来た経験もありました。「いざという時は、対処するから大丈夫ですよ」と賛成してくれました。小学一年の孫も一緒に登るので心強く思え、目標が現実化してきました。コーチに話しをすると「わぁー、すごい、がんばって下さいね」と驚き励ましてくれました。段々近づいてくると「もうすぐですね。体調は大丈夫ですか」と声をかけてくれました。不安を押しのけるように通いマシンを動かしました。
骨折してから丁度一年半が過ぎた8月25日。当日はここぞとばかりの青空で富士山が目の前にあり見上げるほどできれいでした。娘の夫と娘、中一、小五、小一の孫と私と六人で登り始めました。孫達は若いので勢い良く登って行き、八合目の山小屋で中一の孫が嘔吐し高山病にかかり脱落しました。私は休みながらゆっくり登りました。八合目の山小屋に一泊して夜中に頂上を目指して娘の夫と小五、小一の孫と私とで出発しました。これまた途中で小五と小一の孫が次々と高山病にかかり、頂上を目の前にして下山しました。御来光は途中で見ることができました。きれいで思わず手を合わせ感激しました。九合五勺の先まで行き、あと百五十m位で頂上でしたが、とても満足でした。無事全員で下山ができて楽しかったです。コーチにも「良く登って来たね」と誉められました。
71才の私が富士山に登れたのはカーブスへ通い心身共に鍛えコーチからの支えがあったから出来たのだと思っています。
"71才の私でも出来たのです"
今日もカーブスへ通い窓から磐梯山を眺め次の夢は目標は、と考えながらボードで足踏みをしています。