私、まだまだ「いい感じ」だよね。
 一昨年の春、何となくの身体の不調が本格的に更年期症状として現れていた。ホットフラッシュ、頭痛、イライラ、だるい等。食欲だけは衰え知らずのわがままボディーが食事を受け入れなくなった。ご飯が喉を通らなくなったのである。パートの仕事もやりがいを感じていたし、仕事に誇りに持っていた。しかし、コロナの長引く影響で会社の方針と自分の方向性が合わず、更に更年期症状が重なり悶々とした日が続いた。そしたらご飯が食べられなくなったのだ。夏を迎える頃には3ヶ月で10kgも体重が落ちていた。
 顔色はくすんで、ゲッソリした感じで、身体も疲れやすかった。小さい頃から「体格良いね」と言われて健康優良児。思春期も20才の成人も結婚して子育てして50才を迎えても一度も上手に痩せた事はない。万年ダイエッターなのである。
 しかし、年齢と共に若い頃からの腰椎椎間板ヘルニアが時々悪さをして病院通い。もちろん先生からは「痩せなさい」「筋肉を付けなさい」の言葉。
 (今の自分は年より老けて見える)
「仕事辞めよう」
会社と面談をして人手不足のため、勤務時間を減らす事で折り合いを付けた。
そんな時、仕事仲間のMさんから以前から聞いていたカーブスに誘われた。彼女は1ヶ月程前から通っていた。
「気分転換にどう?」
「筋肉付けた方がいいよ」
(筋トレ?体操教室?出来るかな?)と不安もあったけれど入会してみた。
始めの頃は運動も学生の頃していたし、地域のレクリエーションも参加したりしていたからキライではなかった。むしろ、(何だか物足りないかな?)と思って通っていた。目標は筋肉付けて-4kgと設定、本当に筋肉付いて元気になってキレイに痩せるのか疑心暗鬼な自分。
 通っているうちに次第に気分がスッキリして心地よく感じるようになった。Mさんとお互いに励ましながら毎日のように通った。そしたら、腰痛が始まった。頑張り過ぎた。4日間程カーブスを休んだ。土、日を入れて一週間顔を出さなかった。コーチから、「真希子さん、どうされましたか?」と電話があった。理由を話して、「お身体の様子を見ながら来れる時、いらしてくださいね」の言葉。(そうだ、家に居ても悶々するだけ。痛みも少し治まったし、出来そうなマシンだけにしよう!)コーチが笑顔で待っていてくれた。
「真希子さん、来れて良かったですね。」
ゆっくり、ゆっくり出来るマシンだけ、一周だけの日、そして2周出来るようになり、コーチと一緒に少しずつ進めた。
 秋になり、年が明けて1月、カーブスプリンセスが始まった。
「真希子さん、腰まわりがスッキリしてきましたね」
そうそう、いつの間にか痩せてから購入したズボンはゆるい気がする。以前着ていた服はもちろん似合わない。新しく買わなくちゃ。気分はルンルン♬
2月、ウェストが急に細くなってきた。
その頃、長女が結婚での衣装合せのドレスを見て
「いいなぁ。私の時は太くて好きなドレス選べなかった」
「お母さんも着てみれば?」「今なら着れるんじゃない?」
「えっいいの?」
私とお父さん、結婚30周年。家族の応援もあり、話が進み、2月、長女の結婚式。5月、私とお父さんの結婚30周年式をする事が出来た。色々なドレスを試着して写真撮影してとても楽しかった。
 式場の衣装係の方から「お母さんの姿勢がキレイです。体幹もしっかりしています。何かされていますか?」ドレスを着せてもらいながらの質問。もちろん「カーブスです!!」誇らしかった。とても素敵な記念日になった。
 それからも仕事や家庭菜園を頑張り過ぎて腰が痛くなったり、ひざが痛くなったり、肩がギシギシしたりもしたけれど体調に合わせて通った。コーチに励まされて、褒められて、それがうれしくて通い続けた。いつの間にか目標体重の-4㎏を達成し、会社の健康診断で引っ掛かっていた血圧も正常値になっていた。
 一年が経ち、会社の仲間やよく通う和菓子屋さんの店員さん、カーブスのメンバーさんに、
「キレイに痩せたね」
「いつも素敵ですね」
「スタイルいいのね」
と今までの人生の中で言われた事が無い言葉を沢山、いただいた。スーパーでも知らない方から話し掛けられたり、声を掛けられる。(なぜだろう?)
「真希子さんがキラキラしているから周りが声を掛けたり、人が集まるのですよ」
コーチの温かい言葉。
 あの時、Мさんに声を掛けてもらっていなければこうはならなかったと思う。今では心身ともにやる気に満ちてご飯も美味しくいただける。身体も無理が出来ない時もあるし、心も疲れている時もあるけれど、でも大丈夫。カーブスがあるから。カーブスと二人三脚で、やれば出来るし、(まだまだ、いい感じ)で過ごしていこう。
70代になっても80代になっても、したい事があったら躊躇なく行動出来る身体でいたいし、前向きな心でいたい。
いつかはフラメンコを踊ってみたいな。それが私の今の目標。