『役立たずになっていた』
 理学療法士から「こんなに腹筋のない人、初めて」と、外科医師からは「大きなおなかに小さな手術」と言われた私。
 夫が亡くなって半年、一人暮らしになった私は生活の為に必死に仕事を探した。しかし、70歳の就活に応えてくれる企業はなかった。「私って、もう無用な人間なの」と落ち込む毎日。
 そんな時、ママ友(ババ友)のTさんが遊びに来た。
 小1時間もするとTさんは帰ると言う。
 「あら、まだいいじゃない」
 「これから行く所があるのよ」
 「え、どこ?」
 「カーブスよ!」
 「あら、私も行きたい」と、思わずおせじ心で言ってしまった。
 生活に余裕がないのにカーブスなんて行けるわけもないのに。
 その日の夕方、カーブスから電話が入った。すばやい反応にたじろく私に「体験だけでも良いから、来てみてください。Tさんが車で送迎するって言っていましたよ」
 Tさんがそこまで言うなら、、

『体験』
 次の日、Tさんとカーブスへ行くと30歳くらいの女性が待っていた。見渡すと、私くらいの年齢の人が元気よくトレーニングしている。
 まず、面談。穏やかな雰囲気のなか、話が進む。一人暮らしになって人と話せることだけで嬉しい。
 そして、身体測定。身長150センチ、体重56キロ、腹回り90センチ、ずん胴の極みだ。その割には太腿が細いと言われた。だいこん足と思っていたのにいつの間にか足だけやつれていた。ビヤ樽を割りばしで支えているようだ。
 次は体力測定。ひざ関節症の私は膝を床につけることができない。測定不能に終わった。なんとも情けない。
 いよいよ、体験。マシンは思ったほど重くなかったが、できないマシンが4台もあった。
 最後はストレッチ。床につかなくてはならないものもあり、全工程はできなかった。
 その後、たんぱく質と筋肉の話を聞く。私は、ダイエットのためカロリーばかりを気にして、たんぱく質の「た」の字も考えたことはなかった。そういえば朝食はパン1枚にコーヒーだけだ「ハッとした」。
 そして、「仕事で動き回っているから運動など必要ない」とも考えていた。「目から鱗が落ちた」瞬間だった。不健康の極みだ。今やらなくては自分の体が終わってしまう。即、入会を決めた。

『健康になるための努力』
 家に帰り考えた。どうやってカーブス代をひねり出すか。習慣になっている晩酌を止めれば5000円くらい浮くだろう。「そうだビールをやめよう」
 そして、立った状態からいかにして床につくか、また立ち上がることは可能か、畳の上で練習した。まず床に両手をつき、膝をついて思い切ってゴロンと、出来たじゃないか。出来ないと思い込んでいただけだった。これでストレッチは全工程できる。
 たんぱく質の多い食品。牛乳は、下痢をしたトラウマから飲めないものと思っていた。戦後の貧しい時代、我が子に栄養をと考えた母は、朝は納豆、夜は豆腐の毎日。私はすっかり嫌いになってしまっていた。私は頑張ってその3種を少しずつメニューに加えた。その後、「嫌い3種」は3か月で克服した。
 しばらくすると一人暮らしはあまりお金がかからないことに気付いた、プロテインも始めることができた。

『少しずつ』
 その年の冬が近づいた。いつもの様に電気毛布の用意をした。その夜ベッドに入ると足の方が暖かい。「え、電気毛布のスイッチ入れてしまったのかしら」見るとまだコンセントさえ入ってない。次の朝、早速体温を測った。36.5度もある。前は35.8度だった。いつの間にか体が温かくなっている。冷え性が無くなっていたのだ。
 そういえば、足もつっていないし、肩や腰に痛み止めのシップも貼っていない。入会半年、初めて感じたカーブス効果だった。
 Tさんの仕事の日は、一人バスでカーブスへ行く。以前は座席に座っているにもかかわらず、上半身がふらついていた。気が付くとふらついていない。体幹が戻ってきたようだ。寝てお腹を触って見た。大山がなくなってすっかり平原になっている。入会1年目の事だった。
 やがて、コロナ禍に入った。カーブスも休みになったりしたが、私は、無用の長物化していたエアロバイクに乗ったり、ストレッチを毎日欠かさずにした。

『成果がはっきり』
 3年目に入ったころ近所の人に「少し痩せた?だいぶ、シュッとしたみたい」と言われた。家に帰り鏡に映して見た。「そうかなあ」、腹を出してみた。バストと同じでっぱりだったお腹の肉がなくなっている。気のせいかうっすらと腹筋が見える。
「奇跡だー」と、一人叫んだ。
 何をするにも腹筋を気にしていたおかげだろう。一層やる気が出た私はマシンの特性を理解し、充分な運動をするようになった。
 筋肉がついてしっかり関節を支えているらしい。太腿も腕も、もたつきが無くなってきている。曲がりにくかった膝もだいぶ良くなっている。痛みも緩和している。筋肉がしっかり支えているのだろう。
 60歳のころから変形性膝関節症になった私は、医師に「70歳になったら人工関節かな」とまで言われた。今、医師は、「手術はしなくても、筋トレで頑張れば大丈夫」と言う。
 体重は、3キロ減で53キロ、余り減ってはいないが、いくら食べても太らなくなった。「脂肪が筋肉に変わってきているからよ」とコーチは励ます。

『車生活だった私』
 20歳から夫が亡くなるその日まで、家族の為に働き詰めだった私。商売が破綻し、既往症が沢山ある身体で、Wワーク・トリプルワークをした65歳の私。カーブス創業者のお母様のお話を読み、「あ、私だ」と思った。

 テレビCMでなんとかマシンとか、なんとかサプリとか、盛んにやっている。「そんなことしないでカーブスに通ったら良くなるよ」と、一人ほくそ笑む。
 「歩いているから大丈夫」「家で体操しているから大丈夫」と言う人がよくいる。一人で運動することは、よほどの気持ちがないと続かない。カーブスへ行くと知り合いができ、自然と励みになり続けることができる。
 それほど勧めもしないのに、私の変化を知ったママ(ババ)友が、2名入会した。近所の人も、一様に興味を示すので「カーブスチラシ」を玄関前につるしてある。毎月数枚減っている。

 あれから5年、遂に後期高齢者の仲間入り。70歳から自分を見つめだした私は、死ぬ寸前まで元気でいたいと願う。
 私のカーブス通いはまだまだ終わらない。