私の手元に2枚のカーブスプラチナカードがある。1枚は自分のものだが、もう一枚は母の遺品である。これを見ると母と共にカーブスへ通った日々を思い出す。
 
 日ごろから運動不足を感じていた私はスーパーマーケットに置かれたチラシが気になっていた。少し前にできたカーブスのチラシだった。
 2010年の年末、ちょっと時間ができたのでスーパーマーケットの駐車場続きのカーブスをのぞいてみた。いろいろ説明を聞いた後、「体験してみませんか?」と言われ即体験をさせてもらった。マシンの操作も難しくなくこれならやれそうと思った。30分で終わるというのも午後6時半までに入ればいいというのも、仕事帰りに寄るのには都合がよかったので入会を決めた。
 1月から3月は仕事帰りに寄っていたが、3月末で仕事を辞めたその後は週3~4回カーブスへ行くのが日課になった。
 
 ある日ストレッチをしていて壁に貼ってあった雑誌1ページのような紙が目に留まった。そこには80代の女性がワークアウトをしている写真が載っていて、80代でもできるのだ思った。またカーブスの創業者が、寝たきりになってしまった母親のような人をなくしたいという思いで考案したのがカーブスであるということをポスターで知り共感するものがあった。
 私の母は80代半ば、写真の女性より年上であった。何度かその女性の写真を見ながら思った。母を連れてきたい、できるだろうか、効果はあるのだろうかと自分一人で考えていた。母は、俳句が趣味で月例の句会に出かけていた。また、仲の良い俳句仲間4人組で句会に出す俳句作りと言ってあちこち出かけていた。お昼を食べた後は4人で句会をして成績の良かった人がコーヒーをおごるのと楽しそうに話していた。私は、そんな生活がずうっと続けばいいと思っていた。平均寿命と健康寿命の差が10年余りあるという話を聞くが、母には最後まで自分の足で歩ける体でいてほしい。それが本人も介護する人も楽で気持ちよく過ごせると思っていた。
 しばらくは自分の中で考えていたが、コーチに相談してみた。すると、体験に来てもらったらいいよと言ってもらった。それでさっそく母に話してみるとすんなり行くと言ってくれた。それから体験をして入会も決め、私と母のカーブス通いが始まった。
 私の家と母の家は100メートルほど離れていた。「カーブス行こか?」と誘いに行くと「行こ行こ!」と積極的であった。「回数多く行った方がお得だね」なんて話もした。今までは用事のある時しか母を訪ねなかったのに、週何回かカーブスに行くようになって母と会う機会も増え楽しい時間となった。ついでに買い物も一緒にした。
 
 母は、コーチやほかの会員さんからも声をかけてもらいながら全てのマシンを一通りこなしていた。時には、ステップ台で軽やかに駆け足をしていたこともあった。レッグプレスでは、自分で蹴っては音が出ないので、口でシュッと言ってコーチを笑わせていたこともある。会員さんからは「マスさん元気やなあ」「マスさんいくつなの?」「マスさん、目標にしたいわ」中には、「私も母を連れてきたかった」と言われる方もあった。一緒に来たくても遠くに住んでいたりすでに亡くなっていたり、できない人もいるんだと知り、母と通える幸せを感じた。
 そんな母がある時コーチに話していた。「今までどんだけ頑張ってジャンプしても足が地面から離れなかったけど、地面から上がるようになった」とジャンプして見せた。3センチくらい上がっただろうか。「マスさん、すごーい!」とコーチも喜んでくれた。いくつになっても鍛えれば筋肉はつくのだと改めて思った瞬間だった。90歳の誕生日には、コーチやその場にいた会員さんにお祝いをしてもらい嬉しそうだった。「100歳まで頑張ります」などと言ってたように思う。
 母に最後まで自分の足で歩いてもらうにはカーブスに連れて行かなければという義務感のようなものが私にはあった。実はそのことは、私自身がカーブスに行く回数を増やすことになっており、体の現状維持ができているとある時気づいた。母のおかげである。
 
 私は、おなかをひっ込めたいと思っていたがなかなかできなかった。そんなときコーチは、「仕事を辞めて現状維持ができているということはすごいことだよ。来ていなかったら体重もきっと増えてるよ」などと励ましてくれた。確かに階段の上り下りも普通にこなすことができていて、少しさぼるときつくなるように思っていた。続けることは現状維持につながると思った。
 
 2020年コロナの感染が拡大し、80代以上の人はカーブスを休んでくださいという指示が出た。家でするように筋トレのプリントをもらったので、母と一緒に2、3回やっただろうか。えらいわとすぐやめてしまい続かなかった。半年くらいで解除になったが、母の体力の衰えは明らかだった。介護施設のデイサービスでリハビリをしてはいたが、歩く距離も短くなっていた。カーブスに行ってワークアウトをしていても途中でえらいで休むということも出てきた。体力だけでなく年齢による心臓機能の低下も医者に言われていたし、認知機能の低下もみられた。誘いに行っても「もうえらいでええわ」「そんなこと言わんと行こや」「マシン3つするだけでええから行こや」で、出かけたり、お休みにしたり。そんな様子でだんだん行く回数が減ってきた。そのうち本当に行かなくなってしまった。しばらくしてコーチに母を退会させようかと思っていることを話すと、「あなたが諦めたら終わりやに」と言われ、しばらく様子を見ていたが退会させることにした。
 それから半年余りしたころ、母は肺炎をおこし20日ほど入院。退院してきた時にはずいぶん弱っていた。それでも、椅子から立ち上がったり少しの移動はできていた。それなのに、ある晩あっけなく逝ってしまった。享年98歳。
 
 12年あまり続いた母と私のカーブス通いの日々は、私の楽しい思い出の一つである。100歳までは行けなかったけれど、母もよく頑張ったし、母を誘って通った私もよく頑張ったと思う。嫁いだ私が母と共にこうして多くの時間を過ごすことができたのは本当に幸せであったと思う。
 これからの私は、母の年齢を目指し、細く長く、たんぱく質を意識してカーブスを続けていきたいと思う。また、カーブスの良さやたんぱく質の大切さを伝えていきたいと思う。まずは目標回数を達成し、おなかのシェイプアップを目指したい。今度は自分のためにカーブスに行こう。