終わりの見えない夏の暑さが続いた昨年の秋、健康診断を受けた。80代の節目に5年ぶりの受診。結果は前回と変わりなく良くなっている数値も。かかりつけ医の「コロナワクチン打った?」の一言に何気なく予約。過去5回の接種は何も異常はなく気軽に受けたが、目眩がするようなフワッとしたふらつきが時々あり、そんな時に転倒した。仰向けに倒れたが肘で支えたので頭部は軽い打撲で済んだ。その後、右肩あたりの痛みが続き再受診。「肩凝り」との診断で温湿布の治療開始後2日目に右顔面の額から頭部にかけて帯状疱疹の症状が出て市民病院の皮膚科と眼科受診。久しく縁のなかった病院では、まず受付からウロウロ。会計の支払機の画面が「暗証番号を――」と表示しても画面に数字が出ない。焦ってしまう。帰宅後その話をすると「画面で暗証番号を入れたら他人に読まれてしまうでしょ」の一言。なるほど...。
 初体験と失敗を繰り返しながら「飲み薬・塗り薬・目薬」で週一回の経過観察の受診が3週間続いた。痛みや熱は無いものの右の瞼は腫れあがり、四谷怪談のお岩さん状態。額の発疹も目立つので外出もままならずカーブスも当然休み。ひたすら休養の日々。80代に入り気持ちは疲れていなくても日頃の生活。(興味のおもむくままのサークルや卓球。極めつきは目眩がしていたのに演劇観賞会の芝居の下見で東京・代々木・紀伊国屋サザンシアターへ日帰りで出かけた事。一緒に出かけた友人に、なんだか目眩が...と話しても「そんなのトシでしょ」と一蹴されてしまった)こんな日々の生活で体が悲鳴を上げてしまったのかも知れない。うつらうつら眠る日々。こんなことが過去にもあったなと蘇った記憶。
 
 13年前、突発性難聴に。全く聴こえない状態が一週間続いた。発病する前日まで仕事。あれやこれやのサークル活動。今回と全く同じ。年齢も考えず動き回った結果が補聴器のお世話になる生活になった。

 まだ介護保険制度が無かった時代の介護施設での仕事。「痴呆症」と言われていた。利用される方の人権は全く考えられていないと感じながらの勤務。理想とする介護のあり方とあまりにもかけ離れた職場だったが、分かり合える仲間はいた。施設定年後は「自由な自分だけの時間」がいっぱい。楽しくて羽根を伸ばしていた時に、かっての職場の若者が認知症対応型のグループホームを立ち上げ、誘われて仕事に復帰。認知症の人達との出会いは、対応する人の全人格を問われている職場だと認識させられた日々。
 転校しいじめにあっていた子供の頃・職場での挫折。「子供たちに生の舞台を」と10年間仲間づくりに走り回っていた頃の経験。全ての経験が生きたのがグループホームの仕事。入所された方々の、かつては輝いていた時代の記憶が徐々に薄れ老いていく姿の中に、過去に培われた人生を垣間見ることがあり、教えられたことが多々あった。

 「痛みは我慢しないで――」と痛み止めの薬を処方された。経過観察の3週間が過ぎた。額に残った発疹の跡はシミになる可能性があると言われた。この年齢になればシミ、シワは当たり前と受け入れる。その後発疹は治まったが、時々、二の腕の痛みと指先まで来るしびれは完治せず。「病院へ行くよりカーブスへ」を選択。久し振りのカーブスはコーチやメンバーさん達の温かい言葉で迎えていただいた。
 日常生活に支障はないもののふとした動作に右腕が激痛に襲われることもあった。そんな時は薬かなと思いつつカーブスへ。チェストバックを使う時が一番腕や肩に痛みが増すような気がしていつも手加減をしていたがある時。コーチの温かい手が肩に。その温かさにつられて思い切ってマシーンを強く速く動かしてみた。その結果は逆に痛みが和らいだ。ストレッチではしばらく肩と二の腕が上がらず、背中のストレッチは寝転がる動作が全く出来ず不思議な感覚を味わった。痛みと付き合いながら一月中旬にはほぼ正常に。コーチやメンバーさんたちの労りの言葉や明るい教室の雰囲気は次の日の元気を頂けた。

 3人の子供がいる50代半ばの娘。末っ子が社会人になった機会に昨年の5月に入会。
 コロナが世界中に広がり始めた頃に娘が癌の手術を受けた。家族でさえ面会が制限されていた時期。幸い早期の段階だったので抗癌剤、放射線の治療は受けず現在に到っている。
 入会した頃は娘と私はそれぞれの時間で出かけ教室で顔を合わせることはあまりなかったが、今回の帯状疱疹のあと娘の仕事が都合のつく日は迎えに来てくれるようになり、一緒に出かけるようになった。カーブスまでは車で10分足らず。共にゆっくり過ごすことの無かった私にとって貴重な時間。時には自宅前に車を停めたまま話し込んでしまうこともある。過ぎた時を取り戻すかのような時間。今まで二人だけで買い物や旅行に出かけたことが無いのは「忙しくて家に居なかった――」とお互いのせいにして。
 「弟」が3年生の時、交通事故で入院した。その時、おばあちゃん(明治生れの母)がホットケーキを作って待っていてくれたと。交通の便の全く無いあの山奥から一人で来てくれた母の姿。私の全く知らないエピソードを聞かせてくれた車の中。あの世で母に会えたらこんな話もしてみたい、その時のお礼も伝えたいとつくづく思ったことでした。

 帯状疱疹の経験で学んだ事は毎日の散歩。カーブスへ出かけること。バランスの取れた食事。特に朝食は蛋白質を重点的に。後遺症に悩まされる事もなく日常生活を取り戻せたのは、こうした生活が土台にあったのだと。日々の積み重ねの大切さを体で知ったことでした。突発性難聴になった13年前にカーブスと出会っていたらもしかして補聴器のお世話にならなくて済んだかも。
 今回の発疹の跡は、日々薄くなってきている。これも筋肉をつけるトレーニングを行いアンチエイジング効果の一つかなと。カーブスマガジンの記事「筋トレをしていると肌がキレイに若がえる」を読みながら納得。

 80代になって現状維持が保てる毎日に感謝しながら娘とのカーブス通いを楽しんでいる私がいる。
 癌の手術をした娘に。これからの人生は、自分のための時間を。幅広い年齢の人と出会えるカーブスは豊かな人間関係を結べる場になるかも。健やかな未来が続きますように。