ひときわ早い春に、満開の桜を観る旅は叶わなかった。それでも山間にちらほら咲く山桜を横目に、列車で鳥海山をぐるり、裏側をめぐる旅にでた。広大な田んぼを前庭に、でーんと、鎮座する鳥海山。秋田富士とよばれているが、頂上は山形県だ。
 
 夫の病気から三年、後遺症で全身の筋力低下があり、もう一緒の旅は無理だろうと諦めていた。そんな時、香典返しにもらった宿泊券。思い切って、旅の計画を立てた。「夫が、立ち上がりが大変で、料金がかかってもベッドの部屋に変更できますか」と、宿泊先に問いかけると、「お部屋のグレードが下がりますので、お食事でサービスさせていただきますね」思いがけない返事。夕食のテーブルは、食べきれない料理でうめつくされた。
 運転に自信がないわたしは、遠回りでも夫に負担の少ない列車旅を選択した。これでトイレの対応もOKだ。半日観光の女性タクシードライバーさんが案内してくれた、老舗の山形ラーメン屋さん。「うめーなあ」素朴なあじわいに、夫がめずらしく声に出した。旅館の男風呂前で、心配でうろうろ。無事にお風呂から出てきた夫に、ほっとする。
 一泊二日、全日程を終え、駅に降り立ったらタクシーがない。事業所に電話しても、配車できないとの返答に困惑する。まさか、歩いても行けないし。すべては順調、計画通りと思ったのに、こんなところに落とし穴があるとは。結局、従妹と連絡がつき、車検で乗用車が手元にない彼女は、農作業用の軽トラで迎えに来てくれた。旅を終えてみると、ほほえむ出来事ばかり。またひとつ、よい想い出を積み上げることができた。
 
 今年になって、新しいカードをいただいた。コーチからの祝福の言葉に、意味が分からず、金色に光るカード手に、え?いつも会うメンバーさんが、「5年たったからじゃない」ああそうか、聞いて納得。五年前のわたし、太もものストレッチでは、後ろ手に自分のシューズが届かなかった。腰のストレッチではポーズをとれず、体幹を変にねじった拍子に、あばら骨がゴリッと、激痛。年月を意識していなかったが、もう五年か。怪我も病気もせずに過ごしている。夫と九十をとうに過ぎた両親。わたしが元気じゃなきゃ、この家は回らない。六年目に、どっこいしょっと、踏み出した。