小さい頃、背中にしょいこで毎日重い物を背負い、山道をいろんな物を家まで運んでいました。学校が休みの日は朝から夜までのら仕事。学校を卒業すると叔父の家で仕事をしていて主人と知り合い結婚。最初はまじめに仕事をしていましたが子供が生まれると仕事に行きません。家でアルコールばかり飲んでいた。私がパートから帰ると私に暴力をするようになり、たまに仕事に行くと玄関の前に来る足音が聞こえると胃が痛む。夕方食事の支度をしていても、また暴力をされると思うと胃の痛みも激しく痛みはじめた。夜遅くなると家を出るまで叩かれるから家を出て野宿をする事に。夏は暑いから我慢もできましたが、冬の寒さはこたえました。冬は手や足が赤くはれ、痛みまで出て大変でしたがパートの仕事は休めませんでした。我慢できなくなり何年か家を出ていました。主人が介助が必要になり家に戻ることに。車いすの生活になり私に外に出たいというので車いすを押そうとしましたが動きません。
そんな時にカーブスに入会。入会してマシンを使って筋トレをしたら、なんと車いすが動かせるようになりました。カーブスの筋トレはすごい。しばらく介護をしていましたが主人は亡くなりました。主人が亡くなったら、私は体をぶつけたように体中に痛みを感じはじめた。七十代になり痛みは手・足・背中と我慢できない痛み、背中の痛みは子供の頃の無理をした痛み。手や足は主人に殴られたり野宿をした痛みが今あらわれた。大変な時は痛みは出ないと整形の先生に言われました。これからは昔の事は忘れるように努力をしているけど激しい痛みが出ると思い出してしまう。
今はカーブスに行くのがすごく楽しい。西永福にしばらく通っていましたが、電車バスと乗るので大変なので歩ける距離の国分寺に行きます。西永福のコーチさん、短い間でしたが楽しいひとときをありがとう。メンバーさんもよく話しかけてくれて元気をもらいました。ほんとうにお世話になりました。国分寺のコーチさん、メンバーさん、これからもよろしくお願いします。国立・中河原のコーチさんもありがとう。迷惑かけてごめんなさい。
バスに乗ろうと走り転んでしまいました。怪我をしたけれど骨は折れませんでした。これもカーブスのマシンや筋トレのおかげです。前に顔のおでこや、手・足の骨を折っているので折らないように気をつけなければなりません。長年つづいた胃の痛みも、激しい痛みはなくなり少しの痛みだけです。
これからの人生は優しいコーチさんとカーブスを頑張りたいです。少しの痛みはカーブスのマシンでよくなる。いつも歩いていますが筋力をつけるにはやはりカーブスのマシンとたんぱく質。体のあちこちが痛いのであと何年生きられるかわかりませんが、元気でいる間はカーブスを続けていきたい。パートの仕事も清掃の仕事なので掛け持ち。休憩の時間は移動になるので朝から夜まで大変でしたがその頃は疲れは感じませんでした。今になって出てきて、痛みがあると大変ですがないと幸せを感じます。一日〃をたいせつに生きて行きます。