カーブスに入会したのは7年前。しかし、現在カーブス歴5ヶ月の私。
元々知らない人の中に入るのが苦手で、カーブスに入会することを考えたことはなかった。当時カーブスで体調が良くなった母の再三の勧めで体験だけのつもりで行った。確かに良さそうだった。しかし、通うかというとノーであったが、母が勝手に入会手続きをしたのだった。お金がもったいないと仕方なく通い始めたカーブス、アットホームで笑顔のいい雰囲気だった。私の居場所かも...。日課となり楽しみの一つとなった。
ところが、三年前、「ドシャーン」バックする車に側面より衝突され、左半身を強打した。一日中ゴロゴロと過ごすしかない生活、痛みと気分の悪さは耐え難かった。もはやカーブスのことを考える余裕はなく、体が元に戻るだろうかと考える日々だった。仕事も半年以上休み、カーブスが居場所とはもはや過去のことになった。
一年を過ぎた頃、コーチからの電話。懐かしい声と後ろで聞こえる笑い声、やっぱり復帰しよう。再入会の初日より笑顔になる私、カーブスは輝ける場所なんだ。懐かしい顔ぶれ、心配して声をかけてくださるメンバーさん、仲間なんだと嬉しかった。
しかし、再びアクシデントに見舞われた。順調に通い始めた一昨年秋、膝の激痛と腫れに襲われた。関節注射も効かない。総合病院で半月板損傷との診断、手術、リハビリのための入院を余儀なくされた。リハビリ期間を含み入院は1ヶ月、退院してもその1ヶ月後に息子の結婚式をひかえていたため、トータル2ヶ月必死でリハビリした。けれど手術の結果は最悪で、半月板は脆弱で役目を果たさず、変形性膝関節症も進行してるので、人工関節の手術をしましょう、と。涙が出た。なんのため手術をしたのか、なんのためリハビリを続けてきたのか。術後も他人の膝のようで思うように動かせない。情けない。けれどこのままではフレイルが進む、なんとかしなくては...と前を向くのに必死だった。
4人の医師を受診し、選んだのは自由診療の再生医療。幸い主治医も信頼することができた。治療は成功し、膝は随分楽に動かせるようになった。そして私に自信とやる気を持たせてくれたのは主治医の言葉。「筋トレは大事。カーブスに行きなさい」手術から一年経った5ヶ月前カーブスに再々入会した。
事故や手術がなかったらカーブス歴7年、けど苦しみながら這い上がってきたカーブス歴5ヶ月の私、自分をほめてあげたい。
続ける。私らしく。