70歳が目前に迫り、まさにカウントダウンの心境である。2008年夏に入会して以来...年は重ねているのだが、確実に気力体力は増している。積み重ねた運動の日々は私のメンタルに働きかけ、身体の隅々に作用し、現在の心身を形成したのだと実感している。若い頃の私はいつも不安定で不調を覚える日々だった。それがわかっていてもどうすることもできず、家事育児仕事をなんとかこなしてきた。
転機は、退職後うつうつと過ごしていた53歳の夏、カーブスに入会したこと。運動をすることより、まずは外に出ることが目的だった。それまで運動習慣が無かったこともあり、当初は出かけるだけで疲れ果て...が続いた。それが気がつけば、もうすぐ16年。我れながら、あっぱれ!!
「自分をほめてあげたい」のセリフをお借りしたい。
カーブスのおかげだと確信しているのは、2017年9月から続けている献血。実は、献血は20代の頃に1回しか経験がなかった。その時にあまりにも時間がかかったことと、その後は献血の機会にも恵まれず。自分の体調に自信がなかったことが、大きな理由ではあるのだが...。
それが...あの時...あの場所で...。「献血をお願いします」のプラカードを持った女性に、いつもなら通り過ぎていたのになぜか気になり「62歳ですができますか?」と質問。彼女の説明では「60~64歳の間に1年間に1回の献血をすれば69歳までできる」のだと。ならば、やってみよう...と。事前の血液検査、医師の問診をクリアし初めての成分献血に臨んだ。緊張と興奮からか、痛みは感じなかった。「できた!」という達成感で、とにかく嬉しかった。10日程経つと血液センターから〔検査成績のお知らせ〕のハガキが届く。γ-GTP・総蛋白・アルブミン・コレステロール・白血球数・血小板数・・などなど実に15項目に及ぶ数値がわかるのだ。なんと、ありがたいことか。この年ではあるが、常時服用している薬もなく健康なればこそできること。
ただ残念なのは、成分献血は献血ルームでしかできないこと。献血車なら地元の市役所や商業施設などで、その機会もあるのに...。名古屋の献血ルームに出かけるには、友人とのランチや映画、買い物など第一の目的が必要。回数にこだわるわけではないが、これまでは年3~4回のペースでここまできた。来年、年明け早々に70歳になる私。70歳の誕生日前日が献血のタイムリミット。あと何回行けるだろう...。カーブスで培ったこの健康体...生かせるものなら生かしたい。
マイナス思考・ネガティブ・自己肯定感が低い...様々な要素ばかりを意識することが多かった私。献血を機に、社会に参加できたような、久々に味わう高揚感だった。そうなってからは、カーブスに通うことにも自分なりの目的意識が。誰かのために...だけでなく、自分自身の体調を維持し健康管理に努める。その結果として献血の機会も生まれるのだと。
以前、変形性膝関節症と診断された折り、あまりの激痛に痛み止めの薬を飲んだ。翌日献血ルームの問診の際、薬の名前を申告したところその日は献血できなかった。献血できなかったのは本当にショックだった。その経験から、献血できることの幸せを再認識したのである。
漫然と日々を過ごし、散歩の延長でカーブスに行く...という日常は、それはそれで楽しいものではあるけれど、少しはピリッとした目的意識も必要。ここ数年はそれが献血だった。献血を可能にしたのは、一歩を踏み出した62歳のあの日の健全なメンタルと、健康な身体・カーブスが一端を担っていたのは言うまでもない。体重減少、身体のサイズの変化はもとより、目には見えない変化が確実に起きていたことがわかる。献血の度にそれを実感している。若い頃より70歳目前の現在の方が、断然絶好調だなんて本当に信じられない。カーブスの16年が私を変えたのだ。その自覚があるからこそ、通う足取りも軽い。確かなモチベーションになっている。
こうなったら、頑張って出かけよう!名古屋まで1時間...の地方都市在住の私、春もやってきたことだし、デパート+献血、映画+献血、美術館+献血、ランチ+献血、用事を作ってお出かけしなくっちゃ!
もちろん!!そのためにはカーブスも頑張って通います。
入賞
「献血を可能にしたカーブスの力」
カーブスって
どんな運動?