「こんにちは、敏子さん。今日も来れましたね」ドアを開けると、インストラクターの明るい声が迎えてくれます。今日もカーブスに来れた嬉しさを思いながらベンチブレスを握った時、顔見知りのメンバーさんが声をかけてくれました。「いつも笑顔でやってるね。楽しそうね」と。その言葉を聞いた時、私は思いました。「そうだ。こうして元気に来れるのは感謝することで、当たり前のことじゃない。病や怪我からの回復を願っている人にエールを送りたい」帰宅した私は、これまでのことをふり返ってみたのです。

 大きな事故にあい、命はとりとめたものの
時は平成十年。バブル崩壊後の日本は不況の最中。五十代半ばの私は、仕事のセミナーに急いで向かう途中で事故にあいました。市街中心部で起きた事故現場の人垣の中に、救急搬送先の看護士さんと知人がいたので、事故の様子を聞くことができました。交差点で一旦停止した私のバイクにタクシーがぶつかってきて、私は飛ばされ空中に舞い、ボンネットに乗り、コンクリートに打ちつけられたのです。動かず意識もない私を、「もう駄目かもしれない」「死んでいる」と言う人々の中、私は救急車で運ばれました。手術では、複雑骨折した左脚を固定するためのボルトを七本うめこみ、二十三針の縫合をしました。医師六人が関わってくださり私は一命をとりとめることができたのです。
 病院では、入院患者さん達に、「すごくひどい患者さんが来た」と言われたと聞き、ますます私はびっくりしてしまい、生涯車椅子になると覚悟をしたのです。四か月余りの間、自分で動くこともできず、言葉にできないほどの悲しみと不安を味わいました。若い時から運動が好きで、陸上短距離走や球技バレーにも親しんできたのに、もう何もできなくなるのかと思い、奈落の底に突き落とされた気持ちでした。毎日神様にお祈りし、見舞いに来てくれる夫や友人、お医者さんや看護士さんに感謝して、治ると信じて過ごしました。半年も経たないうちに、回復の兆しが見え始め、命をとりとめることができました。
 一年後、ボルトを取り出す手術を受け、リハビリも始まりました。「一人で歩けるようになるのだろうか...」松葉杖をつきながら、力の入らない自分の足を見て、悲しい気持ちでいっぱいになる日々でした。リハビリの辛さは、私の心身を、疲労と挫折感でいっぱいにするのでした。
 ある日、ゆっくりですが自力で一歩一歩と歩けるようになり、お医者さんもびっくりしていました。私は「奇跡が起きた」と涙が出るほど喜び感謝しました。しかし、「年をとったら、色々でてくるかもしれません。冬になると痛くなったり...」と聞き、後遺症の不安を抱えたまま退院しました。

 リハビリ・チャレンジの年月
「なんとか普通に生活できるようになろう」と健康を願いつつ、私はある環境問題を考えるグループに入り、自然食品摂取の食生活に切りかえ始めました。体に悪い食材は使わないように教えられ、良い物だけをとり入れようと努力しました。しかし、食品添加物などを全て除くことはできず、体に良い物を沢山食べていたので、体重は減らず、体力も戻らなかったのです。「このままではいけない」と、焦る気持ちと裏腹に、健康とはほど遠い六十代が過ぎていきました。ウォーキングもしましたが長続きせず、老後の後遺症への不安が大きくなり、いたたまれない気持ちで毎日をすごしていました。
 
 カーブスとの出会い
年月は流れ、老後に不安を残したまま古希を過ぎ、「もうこの年じゃあ良くなりっこないし...」と、あきらめかけていた矢先、親友から『カーブス一ケ月無料体験チケット』をいただきました。「これを持って行くといいよ。一緒に一年間続けてみようね」さっそく私は、カーブスに行ってみました。
 最初の体力測定では色々やって、全て何もできなくなっている自分の姿に、本当にがっかりしてしまいました。運動が好きだった若い頃を思い出し、よけいに辛くなりました。「衰え」の現実を前に肩を落とす私でした。
 しかし、インストラクターさんは優しく、「無理しなくていいですよ。ゆっくり、少しずつやってみましょう」と、笑顔で丁寧に話してくれました。温かく受け入れてもらい、「一ケ月無料なのもラッキー」と、翌日も行ってみました。親切に教えてくださるので、毎日のように足を運ぶようになると、友達が来ていたり、近所の知人に会えたりするので、楽しくなってきました。こうして私は、七十代半ばでカーブスに入会しました。それまでに味わったことのない新たな充実した時間をもてるようになり、歩行もスムーズになってきたので、エルサレムへの海外旅行に参加したのです。
 しかし、再び腰痛が...。旅の途中、ラクダの背に乗って石畳の道を揺られて進んだのが原因。歩くのもやっとになった私は、周りの人に助けられて帰国しました。ラクダの背は、楽どころか苦痛を残し、私はカーブスを半年休むことになってしまったのです。その頃は、階段を下りるのが特に大変で、一段ずつ足をおろしていかないと無理でした。手すりを持って下りながら、「旅行のために毎日一万歩ウォークしたのに...せっかくカーブス始めたのに...」と、後悔にさいなまれるのでした。

 カーブス継続!変わってきた私
「無理は禁物...」気を引きしめて、私は再びカーブスに行き始めました。腰を痛めた旅行前に通ったカーブスでの二か月の充足感が、私を継続に導いてくれました。丁寧に教えてくれるインストラクターのもと、できるマシンをゆっくりやり根気よく筋トレに励む。変わってきた自分の心身を見つめながら通っているうちに、腰痛もよくなり、背筋も伸びてきました。
 そんなある日、「あれっ?階段をスムーズに下りている」知らない間に、足の動きも治っている自分に驚きました。「そういえば、あっちもこっちもよくなってきてる!」
 
 変わった自分におどろく私
顔には自信がないので、ついつい鏡から目をそらしてしまう私ですが、顔のしわがなんだかうすくなり、顔のイボも少し消えてきて、人に「血色がいい」と言われるようになりました。肌のつやと唇の赤みがもどり、鏡を見るのも楽しくなりました。皮膚だけではなく、目にも変化が表れました。進行したらやりましょうと言われた白内障の手術ですが、夜も針に糸を通せるまでよくなりました。なんだか、毎日、手を見たり足を見たりして、変化に驚き、感謝しているのです。
 プロティンとヘルシービューティも続けて飲み、昔と比べたら体重が十キロ減り、友達から、「すっきりひきしまって若くなったね」と、最高のほめ言葉をもらいました。カーブスメンバーさんからも、「背中まっすぐだね」「姿勢がいいね」「若い若い」と嬉しい声をかけてもらっています。

 「生」ある限りカーブスに通いたい
なにしろ毎日を元気にすごし、おっくうに思えた家事も、できることは進んでやるようになったのです。洗濯した物を二階のベランダに運んで干すのも、お風呂の掃除をするのも「足腰の運動」と楽しんでやれる気力がわいてきます。カーブスは、私の健康のバロメーターです。体の筋トレや栄養補強だけでなく、心も強く前向きにしてくれたカーブスパワーへの感謝を胸に、これからもカーブスに通います。愛する夫のためにも、喜寿を迎える自分の心身を大切に生きていきます。