私は若い時からインドア派であり、運動習慣は全くなかった。9年前に右股関節が人工関節に全置換となってからは、ますます運動からは遠ざかっていた。看護師という仕事柄、立ち仕事で動き(走り?)まわる事が多くて運動量としては充分だと考えていた。定年後もパートとして1日6時間、週4回仕事をしていたので、65歳まで若い時のまま暮していた。「このままでは、まずいかも!?」と思ったのは2回、屋外で転倒したことである。アスファルトで身体のあちこちに打撲と擦過傷だらけになったのだ。私はなぜこんな事が起きたのか、とても不思議に思った。目のせいかもしれないと考えて、左白内障の手術をしてメガネも新しく作り直した。しかし、疲れ易い、階段が、長い歩行が辛い、スピードが落ちてきた。これは老化による筋力低下、フレイルサイクルの中に入り込んでいるのだと、初めて自覚した。
 丁度その頃にスマホにカーブスの広告が出ていて、人間は運動をしないといけないのだと、人生初めて思った。いろいろとホームページ等で調べてみて、①1回30分である②いつでも利用できる③気分転換に良く、身体だけでなく精神面にも良い影響が期待できる、この3つが決め手となりカーブスにした。もう何年も前にカーブスの体験チケットを渡してくれた知り合いのKさんに紹介してもらい入会する事になった。

 カーブスに通い始めて8か月、階段昇降も長い歩行も楽になり、近隣の風景も楽しめるようになった。体力的に自信がついて、つい油断と慢心があったのだと思う。昨年5月室内で躓き転倒し右上腕骨骨折となってしまった。2週間、固定と安静にしていたが、骨にズレが生じていて、結局手術(髄内釘による固定)となった。右肩が関節拘縮で可動域制限がありリハビリは非常に痛いものだった。9月まで仕事もカーブスもお休みにした。カーブスを再開するにあたって、Wコーチから電話を、Oコーチからは手紙をいただきました。Kさんに託して届けられたお手紙はとても勇気づけられるものでした。
 10月から、パートを半分にし、リハビリとカーブスの生活に戻った。しかし、再開して2週間目に、リハビリ(病院)に行くため車に乗って愕然とした。左腕がハンドルに届かず、右手で手伝うとか、尺取虫のようにハンドルをなぞって上っていかないと握ることができなかった。病院ですぐに検査をして、頚椎の専門医のいる総合病院を紹介された。病名は頚椎症性筋萎縮症であり、回復しなければ手術と説明を受けて呆然とした。左腕は動くことは動くのだが、力が入らない、挙上した腕を保持できずダランと落ちるという不全麻痺状態だった。首は痛みはあったが、左腕にしびれや痛みがなかったので、パートもカーブスも続けることにした。
 マシーン(バイセップ・トライセップ)は健側であるはずの左腕がピクリとも動かない。ストレッチも④⑥⑧⑩では右手で支えたり、壁に手伝ってもらったりしながら続けていた。人生ってこんなことも起こるんだなあと少し悲しかったけど、ゆっくりと回復してきた。今年1月には総合病院は終了となり、「ほっ!」とした。まだ首と両肩のリハビリは続いている。あの時、カーブスを中断しなくて本当によかったと思っている。

 今は日常生活に支障がないくらい回復している。パート契約も終わりこれからのことをゆっくりと考えている。昨年5月に骨折でカーブスを中断する前の体力年齢が56歳と、実年齢よりも10歳も若かった。しかし現在は、実年齢をはるかに超えて71歳!!で4歳もオーバーなのである。直視したくないこの事実、この数字。この14歳(年)というこの差はすごい(ひどい!?)ことなのだろう。日常生活で日々筋トレを継続すること、蛋白質を意識暮らしていくこと、これを忘れずに生きていかなければいけない!と改めて思い知り、仕切り直して頑張ろう。
 今年の目標として「せめて実年齢に戻す!!」として、蛋白質を計算しながら継続していく。来週(4/1)に左薬指の人工関節置換術を行うのだが、今回はすぐにカーブス復帰すると決めている。紹介者のKさんが、中断できなくて15年以上継続していると話してくれて、私もそのライフスタイルを見習っていこうと思っている。