「明日の自分にきっと驚く」この言葉を目にしたのは、カーブスに入会し一週間が過ぎた頃です。
 ふと壁面に書かれている英語の綴りが気になりました。「The power to amaze yourself」「どういう意味なのですか?」コーチに尋ねました。「明日の自分にきっと驚く」という意味なんですよ。「いい言葉やな」「明日はさらっぴんですよね。笑」明日になったら新しい自分が始まる。カーブスに行く度、壁面の言葉を意識する様になりました。
 もう1つ心打たれる言葉が手書きのポスターにありました。「体が変われば"心"が変わる。心が変われば"毎日"が変わる。毎日が変われば"人生"が変わる。」心にビビッと来たのです。「これや!!」と思いました。すぐに自分の手帳に書き込みました。「心と頭」で唱え、声に出してみました。私への励ましの「言霊」となったのです。  

 ストレッチコーナーに掲示されているポスターで筋肉やタンパク質の大切さも学びました。ポスターは全てコーチの手描きや貼り絵で作成されています。可愛いイラストが目をひきます。ストレッチしながら学習し、スマホ撮影して家で復習しました。短時間でレンジ調理出来、タンパク質も摂取できるレシピを頂き家で作ってみました。家族にも大好評です。カーブスアプリを利用し、タンパク質がどれ位摂取出来ているか調べた所、なんと私は6点しか摂れていませんでした。カーブスプロテインも飲み、今は1日12点が目標です。食品パッケージの栄養成分表を見て少しでもタンパク質を多く含む物を購入、調理し、食生活も改善されてきました。

 通い始めて3ヶ月過ぎた頃、エレベーター内の鏡に映る自分を見て「あら?鎖骨の下辺りが少し痩せたかな?」少しの体の変化がとても嬉しく30年ぶりに70キロを切り68キロになりました。「体」も「心」も「意識」も変化し、月に一度の計測日にコーチと計測結果を見ながらお話するのが楽しみになりました。体脂肪が増えていても「今月も頑張りましたね。お水飲めていますか?」コーチの温かいアドバイスでまた前を向けるのです。

 カーブス入会前の私はコンプレックスの「塊」でした。1964年東京オリンピック開催年に私は産声をあげました。両親から愛情を受け何不自由なく健康に育ちました。そんな私が「無難に目立たない様にしよう」自分を隠し守る様になったのは小学生の頃からです。「大っきいなぁ。背でかっ!!」と誂われました。何度も傷つき背中を丸め心をも小さくしていきました。
 ある日泣きながら母に言いました。「学校へ行きたくない」「学校で何かあったの?」「友達と喧嘩したの?」心配する母に「何でもっと小さく産んでくれんかったん?」「背高いのんいやや!!」困惑する母に酷い事を言ってしまった...と気付いたのは、自分が母親になってからです。大きい人だと思われたくない、首を窄め前屈みに歩く様になり肩は巻き肩になっていきました。
 中学卒業式の日、担任の先生からお手紙を頂きました。「君は自分の身長の高い事を気にしているの?背筋を伸ばしてごらん。見える景色が変わるよ。身長の高い事はとても素敵な事だよ」自分が救われた気持ちになりました。

 社会人になり結婚し一男一女を授かり、社会復帰しました。産後太りで増えた体重は75kgを越え、洋服は17号のスカートが入りません。レディースLサイズは腕も脚も入りません。ジーンズは34インチがピチピチで太ももが擦れて赤くなりました。75kgの体に174センチの身長。鏡に映る自分が嫌いでした。
 
 ある日配送の仕事中、74歳の母から家の段差で転んだと電話が有り、病院へ連れて行きました。右肩鎖骨骨折でした。仕事帰りに母の身の周りの手伝いをしました。鎖骨骨折が治り、少し安堵していた頃、母から電話が鳴りました。家で尻もちをついて動けないと言うのです。救急搬送された病院で腰部左迫骨折と診断され手術入院を余儀なくされました。程なく母の認知症状が出始めたのです。夜中に徘徊したりベッドから転落してしまう事が続き、付き添いをする事にしました。食事を母の口に運びながら色々な話をしました、その時です。無表情の母から「背の高いのんいやや言うてよう泣いとったね」母から出た言葉に涙が溢れました。「何泣いとるん、女の子は泣いとったらあかんよ、笑っときなさい」出された杏仁豆腐を「あんたこれ好きやろ?食べなさい」「好きなん覚えてくれてたんや」杏仁豆腐は塩っぱい涙の味がしました。
 
 コロナウイルスが蔓延し付き添いが出来なくなりましたが、会えなくても近くにいたい想いから毎日病院に足を運びました。そんな最中、母が心房細動からの急変で他界してしまったのです。「お母さんありがとう」夕日の見える病室で母の手を握り、楽しかった思い出を話しました。酸素マスクの母から返答はありません。すると私の手をぎゅっと握ってくれたのです。その手の感触は今でも忘れません。母に心から「ありがとう」を言えたのは最初で最後になってしまいました。
 「感謝の気持ち」は思うだけでは伝わらない。この歳まで気付けないなんて...親不孝を悔やみました。母を亡くした悲しみ、行動制限をされ何もしてやれなかった後悔。毎日が悲しみ色に染まりました。
 
 ストレスから空腹でないのに食べ物を口にすると安心する、食べて食べての繰り返し、過食に陥っていました。そんな時テレビのCMでカーブスを見たのです。「運動30分で?そんな短時間で変われるはずがない」
 半信半疑でカーブス見学に行きました。目立たぬ様に入口から室内を覗きました。室内には10数台のマシーンが有り足踏み台で足踏みされるメンバー様の姿がありました。「この運動なら私でも出来るかな」「でも大きな人と思われたくないな」「でも、やってみよう」見られたくない思いから小声で「こんにちは」入室する私に元気なコーチの声と軽やかな音楽が聴こえてきます。「三重子さんこんにちは。今日も元気でこられましたね」笑顔でコーチが迎えて下さるのです。
 
 普段の生活の中で「三重子さん」と名前で呼ばれる事がなく少し恥ずかしい様な嬉しい気持ちでした。「三重子さん髪型変わりましたか?素敵ですね」「今日のTシャツよく似合ってますよ」「姿勢がよくなりましたね」「三重子さん腹圧入ってますか?」お腹に手をあててこられるコーチの手のひらはいつも温かいのです。高身長の私がマシーンによってはトレーニング姿勢を意識して変えないと筋肉にアプローチ出来ていない事にコーチがすぐに気付いて下さり、私の身長に合った筋トレが出来ています。猫背が改善され、腰痛や肩こり、膝痛もなくなり入会後2年半で体重は11kgお腹まわりは19cm減り、体も軽くなりました。洋服も17号から11号Lサイズ、ジーンズも25号が履けます。おしゃれも出来る様になりました。
 「三重子さん今日も頑張りましたね!!」「有難うございました」退店する時はお腹から声が出せる様になりました。
 
 「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」と書きます「無難」の反対言葉「有難」と書いて「ありがとう」です。コーチの皆さん、下を向いていた私を励ましてくださり「有難うございます!!」私を変えてくれた言葉「明日の自分にきっと驚く」無難に目立たぬ様に生きてきた私に「気付き」をくれて「有難う」「幸せは半径3m以内にいつもある」励まし指導してくださるコーチとの距離。隣で筋トレを頑張っておられるメンバーさんとの距離。自宅では夫との距離。「今日という日は2度とない」心に残る母の言葉。「人生で今日が一番若い日なんだ!!」カーブスに元気に通える毎日に感謝し「気付き」を「築き」に変えてゆきます。今日も大好きなカーブスに行って来ます。心と体を変えてくれたカーブス「本当にありがとう!!」