「いつ死んでもいい」・・・そう思って生きていました。わずか7歳で、突然母を亡くしてからの子供時代が、それは寂しく悲しくつらいものだったせいでしょうか。
そんな私が「健康で生きていきたい」と強く思うようになったのは、長女を産み落とした瞬間からでした。生まれたばかりの娘の寝顔を見つめながら「どんなにつらいことが起こっても、この子のために生きていこう」と涙ながらに決意したのを、今でもはっきりと覚えています。
あれから39年、人生の黄昏をむかえた私は67歳になり、定期的に二つの内科と整形外科を受診し、週に2回も整骨院に通う毎日を送っていました。
そんな中、父が96歳で亡くなりました。父は、継母との確執に悩んでいた私を支えてくれた唯一の人物でした。「つらい経験は、人生の肥やしになる」そう言って励ましてくれた父のお陰で、私はひたすら努力して教員になることができ、充実した人生を送れたと感じています。
父が亡くなった病院のすぐそばに、そのカーブスはありました。私はまるで運命に引き寄せられるように、そのカーブスに通い始めることになったのです。運動音痴で、スポーツ嫌いな私が、カーブスの門を叩く気になったのは、何故だと思いますか?それは、父の死を目前にした私が、声も出なくなった父からの"遺言"を聞いた気がしたからです。
「長生きするだけでは、だめだよ!」
「健康に生きていける努力をしなさい!」
「健康寿命を延ばして生きるんだよ!」
父の病院からの帰り道、夕暮れの空の下、気づくと私は、そのカーブスの前にいました。カーブスは、運動嫌いな体力のない私でも、意欲を維持して続けられるトレーニング施設でした。油圧式の運動機器は、その時の体調に応じて、負荷を自分でコントロールできる優れものですし、サーキットトレーニングの方法も、副作用を起こしにくいように配慮されています。だからこそ、私でも続けられているのではないでしょうか。週3回通い続けて、今では、片足立ちで靴下をはくことができるようになり、週二回通っていた整骨院も週一回に減らすことができました。股関節の調子が良くなってきたからです。
『黄昏の景色と父の遺言』この二つに背中を押され、私は、カーブスの門を叩くことができました。夕刻、カーブスへ向かうとき、茜色の空に向かって、私は、心の中でつぶやきます。「お父さん、私は、今日も来たよ。筋肉をつけて免疫力をつけて、これからも元気にいきていきます」と。
空の色が、茜色から紫に変わり、やがて深い群青が、夜の闇に抜けていくように、『黄昏からの私の残りの人生も、美しく充実したものに・・・』そういう強い思いを胸に、私はこれからも、カーブスに通い続けていくと思います。