平成18年の秋にカーブス西諫早店がオープンしてすぐ入会しましたので、今年で15年目になります。西諫早店と共にですね。

 18年の春に義父が亡くなりました。パーキンソン病を患っていました。私は、もともと腰痛がありましたが介護でそれが悪化して困っていた時に、長男の同級生Sさんがインストラクターをされていて声をかけてくださりすぐに入会しました。49歳でした。
 私達夫婦は長男・長女で、主人には姉、私には妹がおりますが、4人の両親の最後は私達夫婦が看取るのが当然のような雰囲気を感じておりました。占いでも親を見る運命にあると言われて取り敢えず40歳過ぎた頃ヘルパー2級の資格を取りました。親を看取るのは当然の事ですが4人となると重く心にのしかかっていました。父を見送って腰痛に悩み、後3人の介護が出来るのかと心配していたので本当に良い時期に入会できてよかったと思います。また更年期に入る頃でしたがカーブスのお陰で更年期を感じる事もなかったような気がしますし、その後腰痛も感じなくなりました。
 
 義父の3回忌が過ぎ、娘が進学で家を出て夫婦二人になり、体調も良く仕事(パート事務職)、カーブス、お習字やフラワーアレンジメントを習い自分の時間を楽しんでいた頃、義母の具合が悪くなりました。クッシング症候群という聞いたこともない難病でした。コルチゾールが異常に分泌される病気で、精神的にもイライラがひどく暴言や予期できない行動で戸惑い悩まされましたが、病気だからと自分に言い聞かせて介護しました。義母は副腎を取る手術を受け、下半身が不自由になり施設にお世話になりましたが、3年間ほぼ毎日施設に通いました。仕事、施設、カーブスと毎日の生活がパターン化してましたが、カーブスでのちょっとした会話と体をほぐす程度の運動が本当に良かったです。心と身体を整えて義母の待つ施設へ通ってました。
 義母を見送った後は、やり切った感があり、自分の中で色んな事を昇華しながら時間とお金をやり繰りしながらの生活は勉強になりました。「苦労は買ってでもしろ!」なんて言うのは本当ですね。
 
 私の両親は山口県に住んでいて、母は喘息があり病院通いをしてましたが、アルツハイマー型認知症を患ったので、義母を見ながらも月1で山口に帰ってました。父は昭和の男なので家事は一切できない、しないの人なのでケアーマネージャーさんと相談しながら何とかしのいでました。義母が亡くなった後、諫早に来るよう再三言いましたが動きたくなかったのでしょう。しかし平成27年父が肺ガンになり、諫早で治療するため二人を連れてきました。
 両親がこちらに来る時は、住所変更、健康保険、介護保険、通帳、ガス、電気、水道、電話、親戚への挨拶などの手続きが面倒ですが、短時間の内にこれらができたのは義両親の時に同じ事をしていたからです。人生無駄無し、何でも経験しといた方がいいなとつくづく感じました。父は私の家で暮らしながら入退院を繰り返し28年に亡くなりました。父には車で色んな所へ連れて行ってもらいましたが、こちらに来てからは私の車で病院通いやドライブ、また主人がゴルフや旅行に連れて行ってくれたので少しは恩返しできたかなと思います。主人も良くしてくれて助かりました。
 
 現在は、母が健在です。義母がお世話になった施設に入ってますので自宅から近く、職員の方も顔なじみで良くしてくださいます。コロナ期間の間に認知症が進み股関節を折ったので車椅子生活ですが、すぐ会えるので安心です。もちろん、コロナの時も両親の介護中もカーブスしっかり通いました。介護仲間もランチ仲間もできました。インストラクターの方に「今日は痛い所ありませんか?調子はどうですか?」と最初に聞かれる度に、自分の身体と向き合います。マシンを動かしながら肩は大丈夫、腰は大丈夫、膝は?と確認しながら。
 実は父が亡くなった後、右聴神経鞘腫で手術、左人工股関節の手術、コロナ罹患後しばらくして気管支喘息で入院と2年おきに3回入院しましたが、カーブスで鍛えているので大丈夫という自信がありましたので、退院後はすぐ復帰できました。カーブスで身体を動かすだけでなく、食事もたんぱく質に拘り腹八分を心がけ、皆さんと他愛ない話や情報交換することでどれだけ助けられたことでしょう。お陰様で数値から言えば、体重は3キロ減、体脂肪も少々減、体年齢もほぼ増えてません。有難いことです。
 カーブスというこの時間、空間を大切にしながら西諫早店と共に15周年、20周年を迎えて行きたいです。