私はM市に住んでいる紀子と申します。現在、私は聴覚障害者3級の一種です。両耳感音性難聴で、聴力レベル右91.3dB、左105dBです。難聴と言っても人さまざまです。幼少の頃から聞こえない人、言葉を獲得後徐々に聞こえなくなった人、事故や病気で突然聞こえなくなった人、高齢で聞こえなくなった人、と聞こえの状態も、その原因もさまざまです。

 私は耳が聞こえなくなって、かれこれ25年が過ぎています。以前、京都で妹と暮らしていた父の介護に、姉妹4人で、一週間交代で携わってきました。4年半に及ぶ京都への通い生活が続き、父は100歳で永眠しました。その間にも主人の母は胃がんの末期で、主人は長男のため、九州の大分県別府へ母の介護に行く事になり、私達の別居生活が始まりました。私は、京都、別府を行ったり来たりの生活で、あまりにも色々な出来事が重なり、精神面、金銭面、そして、体力的にも耐えがたい日々でした。私は体調を崩して、突発性難聴になり、1ヶ月の入院生活を強いられました。医師の継続的治療や投薬を続けましたが、完治する事もなく、今日に至っております。

 以前は、神奈川県川崎市に住んでいましたが、だんだんと高齢になり、M市に住んでいる娘が心配して、「M市に引っ越して来たら」と声をかけてくれました。ただ、70代後半になって、長年暮らして来た土地を離れ、見知らぬ土地で暮らすのを、どれ程ためらったか...。さんざん子供達に勧められ、ようやく決心して、今から13年程前、M市の娘の家から歩いて5分程の所に引っ越して来ました。
 その当時、我が家には、ミニチュアダックスの男の子で12才になったハッピーと言う犬が居ました。耳が聞こえない私は「ピンポン」の音も聞こえず、何度も郵便物を持ち帰られ、困った事もありました。ですが、ハッピーがチャイムの音を教えてくれる様になり、とても助けられました。数年後、愛犬のハッピー君も14歳で天国へ旅立ち、哀しい思いもつかの間、主人も別居生活をしたまま、九州にて亡くなりました。今年で7回忌を終えました。

 私は以前歌う事が大好きで、10年間コーラスを続けてきました。70才の時、ハンガリーから「フェスティバル」に招待され、川崎市の代表で、ハンガリー、チェコスロバキア、ウィーン等の舞台で日本の歌や民謡を披露しました。参加した6ヶ国の人々との交流も楽しんできた思い出があります。ですが、今では、すっかり声を出して歌う事もなく、ピアノ伴奏も聞こえず、悲しい気持ちになります。テレビは、人の話す声や、音楽はさっぱり聞こえません。見る事が出来るのは、字幕付きで、スポーツ、旅、クイズ等の番組に限られてしまいます。朝ドラは、娘と一緒に見ていますが、字幕だけでは感動する度合いが聞こえる人に比べて、半減してしまうように思います。
 聞こえない私を心配して、娘がインターネットで調べ、千葉県中途失聴者・難聴者協会の事を知り、さっそく入会申込みをして、ふれあい22での手話教室に参加するようになりました。聞こえない私は対話の相手もなく、手話の活用も出来なくて、コミュニケーションの取り方、等々奥深さを痛感しています。でも家に閉じこもっていたのでは、先に進めないと考えるようにしています。聞こえなくても目が見える、言葉で伝える事も出来る、手足も自由に動かせ、行きたい場所に行き、食べたい物も食べられる。聞こえなくても幸せだと思いたい。手話の勉強を続けて、10年、聞こえない私達にとって、分かりやすく、文字にして、伝えてくれる人達の存在はとても大切です。私達は、安心して、外出を楽しむ事が出来るようになると思います。

 ある日の夜スマホを見ていた時「カーブス体験一週間無料」に目が止まり、自分の判断で、すぐに応募しました。以前は犬の散歩に朝夕2時間位歩いていましたが、現在は、手話・絵手紙へ通う時に、バス、電車、そして歩きで、一日5000歩位です。年齢と共に筋肉は衰える一方で、何か運動しなければと思ったからです。私は聴覚障害者である事を伝え「コーチからの説明も聞こえないので、それでもカーブスへ通う事が出来ますか?」とメールしました。返信で「筆談で対応しますので、安心して来てください」。私はこの言葉を信じて、体験日を決めて、早速カーブスへ体験に行く事にしました。
 教室の入口まで来た時、コーチ、スタッフの方々が「お早うございます。ようこそいらしてくださいました」と笑顔で迎えてくださいました。色々なマシーン、有酸素運動コーナー、ストレッチの画像等が目に止まり、たくさんの会員の方々が、楽しそうに体を動かしていらっしゃいました。私は音楽は全く聞こえませんので、ず~と一緒に筆談しながら、説明をしてくださって体験が出来ました。脈拍を計る時、音楽は聞こえないので、スタッフの方が、指で「3、2、1」「ハイ」と伝えてくださって、スムーズに進む事が出来ました。「チェンジ」の時は人の動きを見て、次のマシーンへ進んでいます。一週間の体験があっという間に終わりました。コーチ、スタッフの皆さんの明るい笑顔、そして聞こえない私に、やさしく筆談でコミュニケーションを取ってくださっていたので、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。すぐに入会を申し込みしました。

 人生100年時代と言われています。これから先へ進む道は、まだまだあります。聞こえない私でも、体験してみて、カーブスへ通う事が、自分の決意しだいで出来ると思いました。現在私は、2ヶ月おきに、京都へ、私の二歳下の妹の介護に通っています。この年齢になってから再び京都へ介護のために通うようになるとは、夢にも思いませんでした。なので、京都の滞在は、1週間~10日間位になります。その間、カーブスは、お休みしなければならず、とても残念に思っています。スタッフの方と連絡しあって、「帰って来たら○○日に伺います」と伝えています。カーブスへ通って今年の4月で一年になります。私は5月20日で88歳です。

 カーブスの教室は2階です。マシーン、有酸素運動、ストレッチが終わって帰る時足がとっても軽くて、手すりを使わなくても大丈夫になりました。私は毎年市の健康診断も欠かさず受けています。骨粗鬆症の治療以外は、異常ナシと言われています。年に一度の骨密度の測定をしています。今年の一月の測定結果
若年成人と比較 右大腿骨64% 左大腿骨67%
同年齢比較   右大腿骨91% 左大腿骨100%
 先生に「何か運動していますか?数値が良くなってきているので」と聞かれました。私は「カーブスへ通って4月で一年になります」と答えました。先生「筋肉をつけると言うのは、とても大切です。続けられると良い結果に繋がる」「頑張ってください」とおっしゃいました。
 私はカーブスへ通って、あっと言う間に一年が過ぎましたが、目に見えない所に成果が表われてきているように思いました。
 
 これから高齢者の社会になりつつある中で、聞こえなくなってくる人も、いらっしゃるかと思いますが、自分に何か目標をもって、何事も諦めずに、続けて行く事も大切だと思っています。
私の目標①手話の講師を目指す。
    ②絵手紙をもっと上達する。
    ③100歳をめざしてカーブスへ通い続ける。
 今よりもっと体力をつけて、健康で、明るい笑顔の耐えない人生を送れる様に頑張りたいと思っています。きっとかならず、いつの日か希望の光が見えてきそうな気がします。カーブスに出逢えて、心から良かったと思っています。