私がカーブスに行こうと思うきっかけは以前会社員の事務職をしてた時、全然動くことがなく、よく食べ筋力もなく、歩くのもおっくうで車が私の足。車は超嬉しいって感じの私。これでは歩くのも嫌いだから早く死ぬわって感じの私でした。少し痩せて筋力つけたいとカーブスに出会いました。30分だけの時間でしたが仕事の帰りが楽しみに通いました。
 自分が一生懸命動くのが楽しくしていましたが、会社の人事異動で会社が遠くなり夜通うのが無理になりカーブスを辞めました。私は会社に勤め33年間働き、無事定年退職ができ役職を30年間してきました。定年退職後2年間施設で介護職をしてきましたが、実家の母が肺癌になり実の父と弟は早くに亡くなり母一人だったので私が母を見なくてはならないので仕事を辞めました。母は自立した施設にいましたが病院通いで忙しい日々でした。母は手術はしないと言ったので、辛くなく生涯を迎えたいと言い放射線治療を選び3ヶ月程でこの世を去りました。
 
 私は62才です。私の家には主人と息子2人と86才のおばちゃんが居ます。このおばちゃんは私が仕事に行っている時は洗濯と食事を私の休み以外は毎日してくれました。時々鍋はよく焦がしてましたが助かっていました。私が仕事を辞めてからはおばちゃんが物の忘れが多いので分担をして、朝の食事と息子の弁当だけはして後は私が掃除・洗濯・夜の食事をしています。
 86才のおばちゃんは絵が好きで絵画教室と絵手紙教室、車も少し運転しています。夕方には足の筋肉を鍛える為散歩していましたが最近はよく転び怪我をするようになりました。私が仕事を辞め楽になり物の忘れもひどくなり大変です。「おばちゃん私のパンツと靴下知らない?」と言うと探したら履いてたのでした。「それ私のよ」って言ったら「よく似てるから」と軽い返事でいつも「ごめんなさい」と言われ、何回もあるので自分の洗濯物は2階で干すことにしました。毎朝起きてから夜まで何回も忘れがあり、私が家の事をするので楽になり悩みも無くこれではおばちゃんが寝たきりになったら私も大変。おばちゃんの筋力も無くなり私も筋力つけないとと思いおばちゃんに「私カーブスに行こうと思うんだけど」と言ったら「私も行くわ」この機会におばちゃんの運転も止めるきっかけと思いました。私とおばちゃんが健康になる為、ピンピンと動きコロっと行く人生を迎えようとカーブスに行こうと決意しました。
 
 朝おばちゃんが起きて化粧して朝の食事と孫の弁当用意、それが済んだら仏壇のご飯下げて今日の仕事が終わりです。終わった後に私が「今日おばちゃん10時半にカーブス行くヨ」それまでに私は風呂掃除、家の掃除、洗濯を済ませ10時半までに終わらせます。「さあおばちゃん水とマスク持った?」と私は必ず確認。車に降り「水・マスク・シューズ持った?」おばちゃんが「あらシューズ忘れた」と何回もあるので常に乗る時降りる時毎日確認して始まります。カーブスのコーチの人はいつも笑顔でおばちゃんの耳元で「今日Yさん体調どうですか?」と聞いてくださり、耳元で言ってくれるので私も助かります。とにかく耳が遠いので体操する時次に変わる時、私が見てないと聞こえないので常に見て合図をして見ています。でもおばちゃんなりに一生懸命呼吸を整えながら頑張っています。私は2ヶ月近くなりますが自分の中で姿勢と体が少し柔らくなったように思えました。
 それと私はおばちゃんが少しでも物の忘れと足を高く上げて歩いてほしいと思います。おばちゃんは小走りで歩いて今にも転びそうな歩きをしているので足を丈夫になってほしいと思っています。私は嫁ですがこんな気持ちは誰もが思っていると思います。自分もおばちゃんも健康で「ピンコロ」っと言う人生の生涯を迎えられたらと願いたいです。