歩いていたら、前方から来た女の人に突然「こんにちは」と、声をかけられた。とっさのことに、どなただかわからなかった。マスクをしていてお顔もよくわからない。名乗ってくださって、ようやくわかった。「その節は、本当にありがとうございました。それなのにご無沙汰してしまってすみません。お礼を言いに行きたかったのに、なかなか行けずごめんなさい」私は、何度もお礼とお詫びの言葉を繰り返した。

 一年半くらい前まで、毎週のように通っていたマッサージ店で、ずっと私の施術をしてくださった先生だったのだ。私は、引きずらなくては歩けないほど足が痛くて、そのマッサージ店に週一回通い続けていた。施術しながら、優しい言葉をかけてくださる先生で、私は自分のことをいろいろ話し、心もリラックスしたのだった。足をマッサージしながら、「ずいぶん筋肉が落ちていますね」と先生がおっしゃった。私は、その言葉を胸に止めた。
 その直後、フレイルという言葉を目にする機会があり、私がフレイル予備軍だということを認識した。健常者と要介護者の間の人を示す言葉らしい。それらの言葉が胸にある時に、バスで隣に座った人からカーブスのことを聞いた。八十歳だと言うが、とてもお元気で、週数回カーブスに通っていると言う。三つのキーワードが私の頭の中で重なり、私はすぐにカーブスの門をたたいた。「ご紹介者は?」と聞かれたが、名前も知らない。容姿や年齢などを伝えた。すぐに、体験レッスンを申し込んだ。コーチの方々やトレーニングルームの感じが明るく、その雰囲気を気に入ってしまったことも即決した要因だと思う。
 それから一年半、カーブスの休みの日以外はほとんど毎日通っている。コーチの方々の明るい挨拶を聞くと、頑張ろうという意欲がわく。会員さんたちも、みんな明るく声をかけてくれて、順番が来るまで待っている時に、おしゃべりするのも楽しい。私の一日のサイクルが、カーブス中心に回るようになった。

 九年前に夫を見送った時、私の心はずたずたに壊れてしまった。夫がいないこの世界で私が生きていく意味があるのか。何故、生きなくてはならないのかなど、ネガティブなことしか考えられなくなり、何をしても楽しめなくなった。兄弟や友達や子ども達が、必死に私を支えてくれた。
 そんな時、愛犬に出会い、癒されながら生活するようになった。それでも、私がまだまだ生かされていることの意味を問いながらの毎日だった。母より先に逝く訳にはいかないと思った時、認知症になった母を引き取り、母と犬と三人で暮らすことにした。
 母を、ディサービス送り迎えしながら、工場でパートの仕事をした。仕事から帰って、食事の支度をし、母と晩酌するのが日課となった。母は「幸せだ、幸せだ」と毎日言ってくれた。母の笑顔と愛犬のかわいらしさに癒されながら、私も活力を取り戻していったような気がする。
 
 楽しい毎日を送っていたが、母の認知症は進み、色々問題も起きてきて、私は眠れない夜を過ごすようになった。そんな時、ディサービスの施設長さんが私を気遣い声をかけてくださった。「娘さん、眠れてますか?一人でしょい込まないで、困った時には、私たちプロに頼ってくださいね」と。私は、その言葉が有難く泣いてしまった。ああ、もしかしたら私は疲れているのかもしれないなと思った。兄弟たちが施設にお世話になるという道を提案してくれていたのに、私が私がと言って引き取らせてもらったのだった。母と一緒に暮らしたかったのだ。兄弟たちはくれぐれも無理をしないようにと言って認めてくれたのだ。それでも、そういう時が来たら、迷わず施設にお世話になろうねとも。私は今がその時なのかもしれないと、施設でお世話になることを決めた。
 施設の人たちは、皆さん優しく、面会に行くたびに、母の幸せそうな笑顔を見ることができ、これでよかったんだと思った。
 
 母の送り迎えがなくなり、車を手放すことにした。徒歩圏内で生活することにした。長年お世話になった工場も歩いていくのは無理なので辞めた。近くのスーパーで早朝パートを始めた。その頃から、足が痛くなり、引きずってでないと歩けないような状態になったのだった。私は十分頑張ってきた。そろそろ、ゆっくり休んでもいいよねと、自問自答し、早朝三時間の仕事が終わった後は、寝っ転がりながらドラマを見る生活になった。冒頭のマッサージ店には、この頃から通うようになった。そんな生活を数カ月続けていた。
 マッサージを受けて、ゆっくり休んでいるのに、一向に足の痛みはよくならない。そんな時に、筋肉の神が降臨したのだった。「筋肉が落ちていますね」「フレイル」「カーブス」という三つのキーワード。
 私の生活は変わった。先ずはカーブス。昨年、突然、勤めていたスーパーが閉店した。私は、カーブスに通える所に、新しい職場を求め、今度は家とカーブスの間にあるお店で掃除の仕事を始めた。行き帰りはすべて徒歩。カーブスで筋肉を鍛えたおかげで、往復四十分の道のりを早足で歩けるようになった。

 冒頭のマッサージの先生に「筋肉が落ちていると言っていただいたおかげでカーブスに通い、こんなにすたすた歩くことができるようになりました。でも、そのためそちらに行かなくなっちゃってごめんなさい」と言ったら、「何を言うんですか、お元気になられて何よりです」と言ってくださった。毎日歩いている姿を多くの方に目撃され、「歩くのが早いですね」「いつも、颯爽と歩いていますね」「お元気ですね」と嬉しい声掛けをいただく。
 あの時、筋肉の神が降臨してこなかったら、今も、足の痛みと共に、ドラマを見ながら鬱々とした日々を送っていただろうと思うとぞっとする。
 
 息子たちがよく、食事に誘ってくれるが、必ず「カーブスが終わった後でいいよ」と一言付け加えてくれる。足の痛みを改善したいと入会したカーブスだが、体重減少という副産物までついて、嫁たちから「お母さん、すごい」と称賛の言葉をもらい喜んでいる。
 カーブスの仲間たちは、ほとんどが私にとって人生の先輩。何気ない会話の中で、いろいろなことを学ばせていただいている。そんな中で悟った事がある。何故生きているのか。そんな事考えなくていいんだ。今、生きていることが素晴らしい事なんだ。一日一日を生きていく事。それこそが人生。母は九十八歳、施設で、元気に幸せに生きている。愛犬も元気で私を見守っていてくれる。私は仕事、カーブス、母の面会、時々書きたいものを書く。その一日一日が人生。幸せなんだと思う。人生を前向きにとらえられるようになった事。もしかしたら、カーブス効果かな。カーブスに来ているから元気なのか、元気だからカーブスに来られるのか、どっちだかわからないけどと言いながら、十年以上通っていらっしゃる方がいっぱいいる。
 
 先日、通い始めて四百回ですとアプリが知らせてくれた。まあそんなになったんだと、アプリにも励まされながら、私のカーブス通いは続く。