「能登半島、復興して笑顔が戻りますように」
 令和六年元旦、息子とお嫁さんも来て、金沢でのお正月は笑い声にあふれてスタートしました。それが夕方、ガタッガッタンと一回揺れたなと思ったら、二回目は家にも身体にも今まで体験したことのない長い激しい地震が来ました。食器棚のとびらを両手でおさえて「神様お願い、もう揺れないで」と叫んだのを覚えています。東京に帰ろうとした息子達も水浸しの金沢駅構内に入れず我が家に帰ってきました。その後も余震が続き、ひっくりかえったティファールの後始末をしたり食器棚の中身を出したり入れたり...怖い夜でした。
 
 家族が寝つく頃、急に買い出しに出かけました。コンビニではカップラーメン・パン・水を購入する人が沢山いました。コンビニの帰り道、地域の防災サイレンとともに「強い揺れが来ます」という放送を聞いた途端に、私は動揺して転倒してアスファルトに顔面から突撃しました。翌朝鏡を見ると、目の上が紫色にはれてきました。二月半ばには東京で息子の挙式があるというのに......
 テレビでは能登地震のすさまじい光景が映し出され続けました。カーブスでも、地震の話でもちきりでした。私のケガをした顔を見たスタッフさんからは「節子さん、ケガに負けない様に全身を動かして血流を良くしていきましょう」とあたたかく励まされました。避難所に居る方々に「歩きましょう。手足をこまめに動かしましょう」と盛んに言われていました。それってまさに、カーブスでいつも私が言われていることと同じだと確信しました。
 
 一月半ばに、地震のまさに震源地の志賀町にいる義母が老衰と認知症の為に亡くなりました。病院へ最後のお別れに行った時も二階はスプリンクラーが作動して水浸しになった為、玄関から入ると床に布団を敷いたお年寄りが所狭しと横たわっていました。お医者さん・看護婦さんも『熊本県』『宮城県』といったゼッケンをつけていました。義母は朝早く起きて寝るまで田畑でもよく働いて子供・孫を何よりも大切にしてくれました。地震で被災して火葬場・通夜葬儀会場も使えない所が多い中、捜して捜してやっと一軒、家族葬ができる会場を見つけ出しました。少人数でしたがあたたかく優しかった義母とお別れができました。
 
 志賀町では一日何回か『ガタン』という余震もありました。石川県内では千を越す神社が被災されているといわれる中、いつも初詣に行く近くの神社に行ってみました。鳥居はボキッと無惨にもへし折れていました。神様をずっとこわい目でにらみながら守っていたこま犬も地面にたたきつけられていて、その目は怒りで涙を流している様に見えました。『四千年に一回の大災害』ということをあちこち歩いてしみじみ痛感しました。
 その帰り道、避難所に寄ると大きな大きな釜で石焼き芋をしている滋賀県のボランティアさんに出逢いました。「ご家族ご近所の方々にどんどん持って行ってください」と紙袋に沢山石焼き芋を頂きました。皆で食べると本当に甘くて驚きました。人のぬくもりを感じてホッと嬉しい気持ちになれました。
 断水でお風呂にも四日入れず、自衛隊のお風呂に入りました。そこで待っている間も隣の人とおしゃべりに花が咲きました。被災して不自由なことばかりでしたが、能登の方々、全国から応援に来ている人々との絆・あたたかさに、地震の為に触れることができました。
 
 金沢に戻り被災したカーブスのスタッフさん・メンバーさんに、支援物資提供の場所・交流の場所・修繕費援助の制度お知らせの資料をコピーしてこまめにお渡ししたらとても喜ばれました。
 カーブスに通っていると世代を超えて若くてスリムなメンバーさん・スタッフさんとも気軽に声をかけてお話しできるので、たくさん元気をもらえます。「節子さん髪切ってかわいくなったねえ」と言われて、カーブスって素敵なつながりだなあって思います。能登の被災した方々もカーブスの様に身体を動かして笑顔で交流できる場があったらどんなにか良いだろうと思います。今は本当に辛いけど復興に向けて一歩ずつ一歩ずつ進んでいってほしいです。
 
 去年の夏、カーブスショッピングで黄色いチェニックを購入したら軽くて着心地が良くて背中に羽根が生えた様に、カーブスでも旅行でもどこへでも着て行ってます。写真と感想を投稿したら、カーブスショッピングの"ウェア通信"のおたよりコーナーに掲載していただき、新作のウェアーの上下まで頂けました。その時、カーブスって一人一人の声を大切にしているんだなあとしみじみ思いました。カーブスショッピングの製品の一つ一つにも細やかな心配りがされているんだなあとしみじみ思いました。カーブス本当にありがとう。大好きです。
 顔の傷もすっかり消えて息子の挙式も晴れやかな笑顔・笑顔と感動の中終わりました。
 
 私は六十歳を過ぎてからピアノを週一回習い始めました。手話も学び始めてろう者の方々とコミュニケーションがとれた貴重な体験ができました。それと大好きな唄も合唱団に入りスタートしています。いろいろなことにチャレンジしてみようという気持ち、いろんな方にも話しかけようとする姿勢!その一つ一つがカーブスに通う中で身についたと思います。滅入った気分の時も、カーブスに行くと「節子さんこんにちは!!」と明るく元気なスタッフさんの声に何度も何度も救われました。
 職場にもカーブスにも『頑張ろう能登』ののぼり旗をたてています。
 
 どじな私は職場の保育園の柵に足をひっかけて思い切り転倒しました。もう起き上がれないのじゃないかと思うほどの激痛が手首に走りました。カーブスに通う前の私だったら骨折していたと思います。それが幸いにも骨は大丈夫でした。転んでも転んでも前を向いて起き上がり歩き出す...能登にも転んでも転んでも起きて歩き出してほしいです。被災した方々にも笑顔の春が来ることを願ってやみません。
 
 「ファイトオー」能登も必ず復興できますように。ファイトオーカーブス。沢山の女性にこれからもエールを送り続けて欲しいです。本当にカーブスありがとうございます。