私と長女は昨年12月に叔母を、今年3月に母の最期を看取りました。叔母と母はいとこで幼い頃から長年交流を続け、私たちは2人に大切に育ててもらいました。
 
 叔母は8月の暑い日に体調を崩し、2つの病院を転院し私の住む近くの病院に入院しました。私たちは家族で面会に行き声をかけ続けていました。
 その当時母は特別養護老人ホームに入所中でしたが、10月に新型コロナワクチン接種後に発熱が続き食事ができなくなり、叔母と一緒の病院に入院する事になりました。私たちは面会時間内に2人の病室に行き、声をかけたり手を握ったりして看護をしていました。叔母は12月に98歳の誕生日を孫家族や看護師さんたちと病室で迎えた4日後に、私と娘が手を握る中永眠しました。
 
 母は認知症による正常圧水頭症の診断と余命の告知を受け、私たち家族は母の命ある限り支えようと決め、母の体や手をさすったり声をかけながら母を励まし続けました。母には私たちを育ててくれた感謝をみんなで伝える事ができました。母の大好きな孫たちが面会に行くと母は「待ってるわ」と声をふり絞り、孫たちは毎回「また来るね」と約束をし、母との面会時間は私たちの宝物になりました。
 節分には母から娘たちへの贈り物の雛人形を毎年飾るので、今年も雛人形の写真を母に見せ、オルゴールの音色を母の耳元で鳴らしながら私は毎日「ひなまつり」の歌を母に聴かせていました。私の歌声に母は毎回反応してくれました。母は3月3日のひなまつりの翌日に87歳の誕生日を迎える事なく家族みんなが見守る中息をひきとりました。
 母は入院中の4か月間一度も「痛い」「しんどい」とは言わず看護師さんには「どうもない(大丈夫)」と言っていたそうです。しかし亡くなった後の左手は我慢の証のようにギュッと固く握りしめたままでした。担当医師は最後に「よく頑張られましたね」と話され、昔から母は頑張り屋だったので母を見習わなければと思いました。
 母の葬儀後、収骨時に見た腰の大きなボルトがとても痛々しく職員さんが母の足の骨を見て「この方の足は弱く寝たきりでしたね」また「こんなに綺麗な形の喉仏は珍しいです」と話され「仏様が座って両手を合わせて拝んでる姿に見えるので喉仏と言います」と教えていただきました。信心深かった母は仏様となり天国で叔母と一緒に私たちを見守ってくれていると思います。
 
 私たちは改めて母の人生について考えました。ここでなぜ母が介護生活になったかをお伝えしたいと思います。母は12年前、74歳の時に自転車に乗って踏み切りで転倒し腰椎圧迫骨折をし、それまで自宅で美容師をしていた仕事も突然廃業となりました。当時2人暮らしをしていた父も足の骨を折り入院後に認知症になり、父はグループホームに入所しました。母が一人きりで暮らすようになり病院で左恥骨骨折と認知症を診断されました。その後父は肺がんで入院。当時私は仕事も両立していたので、実家で母の介護と父の病院の面会をしながら必死で両親の面倒をみていました。冬の寒い日に父が肺炎で亡くなり、母は更に認知が進みデイサービスや長期入所などの介護施設でお世話になった後、私の住む近くのグループホームに入所する事になり、私たちは面会で母と会うのが何よりの楽しみでした。
 そんな中コロナ禍で面会もままならず、その間に母は歩けなくなり車椅子生活となり特別養護老人ホームに入所しました。
 
 私の娘は今から7年前にカーブスのコーチになりました。その当時は母が認知症で歩くのが少しずつ難しくなった時です。母の病院診察には家族が送迎するのですが母を車に乗せる時に、私一人の力では難しく夫や子どもたちにも協力してもらっていました。母が弱っていく姿を見続けてきた娘はもし治療の一貫としてカーブスに通って筋トレができていれば少しでも母の症状が改善できたのではないだろうか?もう少し長く生きられたのではないか?と後悔の念でいっぱいだと話します。
 今から6年前にカーブス開店と同時に入会した私は、朝早くに実家に行き母の介護をした後にカーブスで筋トレをするのが日課になっていました。介護する側も体力がいるので筋トレ後は心も体もスッキリして「また明日も頑張ろう」と力も湧きました。カーブス仲間もでき、待ち時間に私が介護をしている事を話すと「今日もお母さんの家に行ってきたんか?」「無理したらあかんで」などと声をかけてもらったり自分自身の介護体験を話してくれたりしたので私の気持ちも前向きになれました。また筋トレしている30分間は何もかも忘れて集中できました。
 
 私は独身の頃から花粉症がひどく毎年薬を飲んでも辛く、春の季節は嫌でした。肩こりもありいつもカチカチの両肩は重く疲れやすい体でしたが筋トレを始めてからは体が軽くなり歩く速度も速くなりました。花粉症の薬も飲まず風邪やインフルエンザ、コロナにもかからずに健康で母の介護を続ける事ができました。私が今も尚カーブスの筋トレが続けられるのはカーブス仲間のお陰でもあります。今回母が入院して私が毎日病院に面会に行っている事や母の病状をメンバーさんたちに話している時に思わず涙を流してしまった私に「お母さんにはちゃんと伝わっているで」「お母さんは面会に来てくれて喜んでやるで」などと私を励ます言葉を何度もかけてもらいとても心強かったです。私は毎晩泣きながら眠りにつき翌朝はスイッチを切り替えて一日が始まり、家事をした後のカーブスでの時間が貴重で、運動中にコーチが話される「認知症や寝たきり」にならないための筋トレがどんなに大切かという話にも「うんうん、その通り」とうなずきながら体を鍛えていました。
 
 母の葬儀後しばらく落ち込み泣く日々でしたが「こんな事ではダメだ」と思い直し、久しぶりにカーブスに行くと私の事情を知っていたコーチは「ルリ子さん今日も頑張って来られましたね」とだけ言って多くを語らず今までと同じように私に接してくださり、心から嬉しく私は涙をこらえながら運動を始めました。その日から私は「母が頑張ったんだから私も強くならねば」と気持ちを入れ替え悲しみを乗り越える事ができています。
 娘の働く店でも私の母の死を知っているメンバーさんたちが娘に「大変やったな」「無理せんときや」などと声をかけてくださり、娘もメンバーさん方に励まされながら仕事を頑張る事ができていると私に話してくれました。
 
 私たちが今一番言いたい事は「筋トレは自分を救う」という事です。筋トレを頑張る事で自身の体の痛みや症状が改善したり気持ちが前向きになったりストレスも発散でき心身共に健康になります。現代は「人生百年社会」と言われて長寿の方も増えてきています。少しでも健康で一日でも長生きができるようにカーブスの「筋トレ」の大切さを娘はコーチとして、私はメンバーとして少しでも多くの方々に伝えられる「筋トレ伝道師」として、これからもカーブスでメンバーさんたちと一緒に筋トレを続けていきたいです。
「みなさん今日もこけないように足腰を鍛えましょうね!」