二〇二二年一月二十一日。私にとって、決して忘れることのできない衝撃的な一日だ。
脊髄損傷という大事故に遭い、一時は生命すら危ぶまれた。懸命な治療により一命を取り留めたが、医師からは「車椅子に座れるようになれればいいね」と云われた。絶望とは、こういうことをいうのかと思った。
三十二歳のとき、難病と告げられたときも、こんなに苦しいことなど他にあるだろうかと思ったあの日さえ、そのときと比べれば何ということのないことだったとすら思えた。
約半年の入院生活を終え、奇跡的に回復した私は、無事退院した。
あんなに辛く、苦しい思いをしてここまで来たのだから、もう何も怖くない、何だって出来ると思っていた。
しかし現実は違った。
これまでは何も感じなかった僅かな段差が恐い、これまで真っ直ぐな道だとしか感じていなかった家の前の道路の、健常者だった頃の私には全く感じることなど無かった地面の凹凸に思わず転倒しかけた自分に、私は激しく動揺した。外に出ることが怖くなった。
加えて、その事故で、私は三本の歯を失い、歯並びも変わってしまったので歯列矯正もすることになり、おまけに額や鼻下に傷跡も残り、唇のかたちも変わってしまったので、もう誰にも会いたくない、何故あのとき死ねなかったのだろうと、眠れぬ夜が続いた。
しかしその一方で、あんな大事故を乗り越えてここまでやって来たのだから、諦めたくない、神様は乗り越えられる者にしか試練を与えぬという、どこかで聞いた言葉を思い出し、この苦しみも、きっと乗り越えてみせると心に誓った。
半年近くも入院していたので、体力はすっかり落ちていた。
まずは体力づくりをしなければと、たまたま無料体験キャンペーンをやっていたカーブスに行ってみた。
明るい笑顔で迎えてくれたコーチや、私よりも年上の先輩たちが、活き活きとマシンを動かす姿を見て、「ここでなら頑張れる」と、その日のうちに入会を決意した。
カーブスが日常に加わり、身体を動かす喜びを改めて噛み締めた。
「カーブスに行ったあとは気分が良い。元気になる。」と思った。毎日が楽しくなった。
最初の頃は、マシンを動かすだけで精一杯で、カーブスに行ったあとは何も出来なかった。しかし徐々に体力がつき、家事や、リハビリで始めた色鉛筆も出来るようになった。
退院してから初めての冬が来た。外出時は車椅子の利用が増え、気分も塞ぎがちになった。それでも、カーブスに通うことだけはやめなかった。
調子の良かった頃と比べると身体は動かなくとも、カーブスに行けば元気になれた。それというのも、コーチたちの「さやかさん、今日も頑張って来れましたね」といった声がけや、先輩たちからの「頑張ってるわね、応援しているわ」という励ましがあったからだ。
春になり、だんだんと暖かくなってきたことで、私の身体も少しずつ、動きやすくなってきた。今は桜が見頃になり、愛犬と散歩がてら花見をするのが近頃の楽しみだ。
また、こうして愛犬と散歩に行けるのも、冬の辛い時期、諦めずにカーブスに通い続けたおかげだと思っている。
カーブスの壁には、ある言葉が貼ってある。
「体が変われば心が変わる。
心が変われば毎日が変わる。
毎日が変われば人生が変わる。」
カーブスは、単に運動をして、身体を鍛えるだけの場所ではない。
私にとっては、自分自身と向き合い、心の持ちようや、日々の在り方を、改めて考えさせてくれる、今や欠かすことの出来ない、大切な場所だ。
今、私は、自分のように、身体が不自由になってしまった人々の為に、自分に何が出来るか模索している。
私がカーブスで元気や笑顔を取り戻せたように、私も、今も苦しんでいる人々の為に何かしたいと思えるようになった。
私はカーブスに通うことによって、身体の健康だけでなく、心の健康まで取り戻すことが出来た。
これからも、元気に過ごす為に、そして来年の冬は、もっと動けるように、これからもカーブスに通い続けたい。
ありがとうカーブス。