2010年、次女が病気のため天に召されました。
親バカですが、美人でオシャレで社交的で、友達もたくさんいる娘でした。
長年お付き合いのあった、家族公認の彼氏もいました。
中学で発病して、何度も命の危機に直面しながら、いつも奇跡的に復活していました。
今度は最後なのが分かっていながら「きっと大丈夫!」「また奇跡が起こる!」と思いこもうとして、現実から逃げてばかりいた母親失格の私でした。
娘が亡くなって1年間は現実を受け止められず「長い旅行に出てるだけ」「もうすぐ帰ってくる」と信じていました。
そのうちに自己嫌悪、虚無感、いろいろな生活の変化が重なり、適応障害と軽度の鬱になり、必要最小限度の外出以外は部屋に閉じこもり、服薬。
そんな生活を1年近く続けているうちに「このままでは本当に病気になってしまう!」「薬に頼るのではなく、自分自身が変わらないと!」「娘に恥ずかしい生活は送りたくない!」「勇気を出して何かを始めないと!」「まずは運動からだ!」と突然思い立ったのです。
勇気を出して、ついに一歩踏み出しました。
たまたま知り合いからカーブスの存在を聞き、体験&即入会。
スタッフも仲間も、みんな明るくて楽しい人ばかりで気持ちが安らぎました。
人と接するのは大事な事だと実感。
運動不足で膝の痛みがあったのも治りました。
カーブスに通い始めてから通院も服薬もなくなりました。
そんな頃、母親が若くしてアルツハイマーで徐々に言動がおかしくなり始めました。
私は母が二十歳の時の子で、若い時めちゃめちゃ美人だった母は、参観日が来るのが待ち遠しいほどの子供の頃の私の自慢でした。
母が糖尿病、高血圧、アルツハイマーなどを患うには思い当たる節がありました。
家庭的で料理上手で社交的で、やや、のほほんとした母でしたが、継父と共に会社を切り盛り始めたことで生活が少しずつ変化していき、片道1時間かけて職場と自宅の往復の毎日。運動不足、偏った飲食と外食中心の食生活、決まった人との関わりしか持てず、友達とも疎遠になり、本人も気づかないままストレスの日々。
歳をとってからの私は、自他ともに認める顔も体系も母親瓜二つ。
たぶん体質も母親と同じだと思います。
という事は「現状の母親は将来の私だ!」「今のうちに手を打たねば!」と思うようになり、ますますカーブスに力が入りました。友達もできました。
スタッフや仲間とおしゃべりしたり、生活上の情報交換をしたり、たまにはランチしたり。
そして運動!心身ともにリラックスです。