2020年は大変な年だった。新型コロナがクルーズ船で猛威を振るっているとニュースで知った頃はまだまだ実感が湧いていなかった。いつかクルーズ船に乗ってみたいと思っていた65歳の私にとって乗客の方々の不運はお気の毒であった。震災や台風で被災された方々の映像を見た時のように何かできることがあれば...と思うだけだった。ところが3月に全国の小学校が休校になると、小学校に勤務していた私の生活は一変。卒業式はどうする?数えきれなかった内容の補充は?給食を栄養源にしていた子供たちは?小学生だけで留守番できるのか?様々な不安。いきなり現場の状況も考えないでおりてきた通達への憤り。けれどもカーブスに通っておられる超前向きな本校女性校長の言葉「明けない夜はない。ピンチをチャンスに。今子供たちのためにできることをしよう。」を聞いて職員は一致団結。無事卒業式は挙行された。もちろん出席者は卒業生と保護者。教職員とわずかな来賓のみ。在校生代表のビデオレター。自宅で練習し、当日一回だけのリハーサルで披露された卒業生の呼びかけや歌。けれども卒業生には一人の欠席者もなく、一生忘れられない卒業式だった。
ようやく4月になった。入学式が無事終わり、桜が満開の中、学級開きが行われて3日。学校は再び休校されることになった。子どもたちのために私たち教職員ができることはないか?私たちの市では両親が仕事のため子どもをみられないご家庭の子どもさんを学校で預かり、給食を供給することになった。また自宅待機の子どもたちの家庭での学習がスムーズに行われ、学習の遅れが最小限になり、学校が再開されたとき、遅れが取り戻せるように取り組みが始まった。まず家庭で一人ででもできるプリントを学年ごとに準備し、全員に届けた。次に教材研究を入念に行って短時間に効率よく楽しく学習できるよう準備した。
6月、学校再開。理科の実験や、話し合い、調理実習、図画工作の作品作り、合奏など学校でしかできない教材を精選して安全対策を徹底して実施する一方、漢字や計算の習熟のように本人がやる気を出せば一人ででもできる学習は自宅でできるようにカリキュラムを整えた。自主学習ポイントという取り組みを全校で実施した。ノートに自分の興味関心のあることを調べて書いたり、計算や漢字の習熟のための練習を自主的にしたりするとポイントがたまり、校長先生から賞状がもらえる。また以前からボランティアの方を中心にされていた絵本の読み聞かせに教職員が積極的に関わり盛んにすることにより読書に親しむ子供が増えた。遊園地や映画館、ショッピングに気軽に行けないコロナ禍で読書に親しむことは学力を伸ばし、人生を豊かにするために役立ったと思う。正にピンチをチャンスにできたと思う。
昔話に「やんすけとやんすけとやんすけと...」という話がある。働き者の木こりがキツネを助けたお礼に魔法の壷をもらう。何でも壷の中に入れたものが二倍三倍になって出てくる魔法の壷。木こりが息子のやんすけが持ってきた、たったひとつの握り飯を壷の中に入れてみると握り飯が次々出て来る。二人でおなか一杯食べてもまだまだあるのでやんすけは自分を増やそうと壷の中に入る。あたりはやんすけがいっぱい。迎えに来た母親がびっくりして「お金とお米をどっさり出せば子どもがいっぱいいても大丈夫。帰ろう。」と壷を持ち上げると手が滑って壷は割れてしまう。途方に暮れる母親。けれどやんすけたちは「大丈夫。僕たちが働くよ。」と畑を耕し、木こりの仕事を手伝って生活していく。めでたしめでたし。読み聞かせた後で「みんななら何を入れる?」と聞くとたいていお金かゲームと答える。「ではお金では買えないものは何か?」と尋ねると、友達、健康、幸せ。と答えた。私も同感。そしてカーブスは魔法の壷では...と思った。カーブスに通って5年。時間帯が一緒だったり、年齢が近かったり、昔の教え子や保護者の方、同僚とばったり出会ったり、成果を交換したり、友達の友達を紹介されたり...友達が二倍三倍になった。
もともと健康や体力には少し自信があった私だったがカーブスをしていて本当に良かったと思えた瞬間が昨年の7月にやってきた。夕食後自宅の台所で主人が転倒。すぐに救急車を呼ぼうとする私に「大丈夫。寝室まで行く。」昔気質の七歳年上の主人は、家族や他人に弱みを見せたくないようで聞かない。若いころアメリカンフットボールをしていて身長が170センチ以上ある主人。150センチ余りで体重も50キロに満たない私は軽い布団に主人を乗せ、引きずって寝室まで運んだ。11時ごろ息子が帰ってきた。かなり痛むらしくやはり救急車を呼ぶことになった。病院で大腿骨が折れていることが分かり入院。コロナのため夜中にタクシーもなく、病院に泊まることもできず、翌日早朝から仕事に行く息子を睡眠不足にさせるのも心配で携帯電話にかけるのもためらわれた時、介護タクシーという特別なタクシーを病院の方が紹介して下さり、午前2時ごろようやく帰宅した。
定年退職後すぐにカーブスに通い、小学校に勤務していて退職当時より筋力と体力が向上している私と違い、主人は一日の大半をテレビ視聴とパソコンゲームに費やし、たばことお酒を欠かさず、偏食して自由気ままに過ごしていたため体力と筋力はかなり衰えていた。病院の人には私たちは夫婦ではなく父娘に見えたそうだ。手術後のカンファレンスでリハビリを頑張るには楽しみや生きがいが必要だと言われ、「特にない。」と主人が言ったのは気の毒だった。「孫の成長は?」と私が言うと「ああ、それは楽しみ。」急に表情が明るくなった。孫がいて本当に良かった。手術直後は本当にこの人はもう歩けなくなるのではと心配したが、コロナ禍で見舞いに来られない孫たちと再会することを唯一の楽しみに、病院の三度の食事を残さず食べ、禁煙、断酒、リハビリで適度な運動という病院での健康的な生活のおかげで10月には退院。入院前より元気になっていた。
年末年始には4歳と1歳の孫、娘夫婦がやってきて大忙しだったが、主人も94歳の義母もとても嬉しそうだった。娘と孫たちも都会では公園にも簡単には行けないらしく、雪遊びや公園遊び、柚子の収穫、いちご狩りなど滋賀県の自然を満喫したようだった。年末の掃除、田舎の行事の準備、民宿状態の我が家の炊事洗濯、おせち作り、孫の守り、カーブスで貯筋しておかなければとてもこの忙しさを乗り切るのは無理だった。二人の孫を両手にだっこして「お父さんみたい。」と喜ばれたり、「おトイレ。」と散歩の途中に言い出す4歳の孫を背負って自宅まで走ったり...。「まだ帰りたくないよう。」と言う孫。「また暖かくなったら来てね。」という私。京都駅で見送る時の安堵感。カーブスの魔法の壷に少しずつ入れた筋力がとても大きな筋力になっていた。
幸せ。人によってその定義は違い、同じ状況でも感じ方は様々だと思うが、心から笑顔になれる瞬間がカーブスにはたくさんある。一人の笑顔にみんなが引き込まれる時、健康数値が上がった、友達や家族にスタイルや姿勢を誉められた、昔の服が着られるようになった、子供や孫の話、笑顔になれる話がワークスペースにはあふれている。当たり前だった日常が突然奪われた時、人はどうして笑顔を取り戻すことが出来るのだろう。カーブスのワークスペースという魔法の壷に誰かが入れた小さな幸せ、一つの笑顔。人の幸せを共に喜べる自分でさえいれば、カーブスのワークスペースには幸せがあふれている。
お金では買えない大切なもの。友達、健康、幸せ。当たり前だった日常が奪われた2020年。でも日常のすぐ隣にあって、私を笑顔にしてくれる場所。魔法の壷のように、友達や健康や幸せが次々増えてくる場所。それが私にとってのカーブス。だから私はカーブスに通い続ける。
佳作
「カーブスは魔法の壺」
カーブスって
どんな運動?
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