もし、カーブスでトレーニングを続けていなかったなら、私の身体は、あの日あの時、あのように奇跡的な回復をしなかったと思います。二年十カ月のカーブスでの成果と、仲間の対応に、感謝を込めて体験を記します。
それは、昨年の十月の佳き日、ある大会後のホテルでの宴会の最中に起きた出来事です。
私は、突然嘔吐し、大汗をかき、意識を失ない倒れてしまいました。
周囲の方々は、只言ではないと、血の気のない顔を叩き、耳元で声をかけてくれたのですが、反応のない状態に驚き、救急車を呼んでくれたそうです。
全身の力は脱け、目は開けられず、救急車に運ばれました。薄らぐ意識の中でベッドの上に迎向けのまゝぐったりしていました。
救急隊の方が、病院に連絡して下さっている「七十一歳、女性。」という声は、彼方から響き、誰か急病なのかと、他人事のように聞こえました。
何度も氏名を問われ、やっと自分のことと気づき、小声で答えた記憶があります。
とにかく、やりきれない脱力感に自分の存在が全く分からない混乱状態でした。「目を開けて下さい。」と促され、重い瞼を頑張って開けますが、疲労感で溜め息をついてしまいました。経過時間の不明のまゝ、手当てをして頂き、意識は戻り落ち着きました。
後日知らされたことですが、何故か、救急車は、約一時間駐車したまゝだったそうです。感覚のない時が過ぎ、いつの間にか病院に到着し、病室のベッドの上で、検査と治療をして頂きました。
医師の「血圧、上、八十九、下、四十五。脱水症。」の言葉に耳を疑いました。低過ぎる血圧の数値と、考えられない病名に動揺しました。でも、看護婦さんから脱水症の説明を聞き、自分のいい加減な食事の仕方を深く反省しました。
そして、普段と異なる忙しさで過ごした昨日から本日の行動を振り返りました。
昨日は午前中、孫の運動会で保育園に行き応援、午後帰宅し、夕方、大会準備のため一時間半、車を運転して会場に到着、作業後帰宅午後十時、就寝午前零時、本日、起床五時半朝食は牛乳のみ、六時半発、昨日と同じ道を車運転、八時半着、十時の開会式まで連絡打ち合わせと準備でした。開演中は係活動をし出番を気にしながら、休む間もなく化粧し衣装の着換えをしました。十三名の合舞は程良い緊張感で終了することができました。この時昼食を頂けばよかったのですが、急用ができたので何も口にしませんでした。たちまちプログラムが進行し、二つ目の出演のため着換えをして、三人で舞いました。
そして、閉会式となりましたが、すぐに懇親会のホテルへ慌ただしく移動しました。
午後五時、百三十名参加による祝宴は、挨拶、御祝辞、乾杯と、全員で舞台の成功を喜び、笑顔でご馳走をいただきました。
一時間程過ぎた頃でした。無理をしていた空腹の私の体は、時すでに遅く、全く吸収せず飲食したもの全部嘔吐してしまいました。このことは、脱水症を加速させたのだそうです。昼食時に、お茶だけでも飲めば良かったと、後悔し反省しましたが間に合いません。絶食状態で過ごした半日に、体が悲鳴をあげたのだと思いました。
点滴は続き、「四個目です。これで二ℓです。」と告げられ、人体には、水分がどれほど大切で必要なのか、身に沁みました。
加齢とともに喉の渇きを感じなくなることを思い出しながら、歳も考えずに愚かにも、朝から殆ど水分を摂らず、普段以上に活動していました。カーブスで、こまめに水を飲むように指導され、日頃実行しているのに、本日は忘れていました。恥ずかしい限りです。
「このまゝ入院だろうか?」と、不安が脳裏を掠めたとき、突然、お医者様に
「何かスポーツやってますか?」と、不思議そうに聞かれました。体育会系ではない私は、
「いいえ。」と答えました。すると、
「そうですか。血圧は正常になりました。もう大丈夫です。帰宅できます。実は、心拍数がお歳にしては少ないです。スポーツをやっている人の心臓です。若いです。」と、話されたのです。多くの急病の患者を治療している救急病院の医師の言葉に、自信と勇気を頂きました。
そして、やゝ間があって、「ハッ!」と、しました。「そうだ!カーブスの運動。」と気づいたのです。そういえば、カーブスを初めて半年後の頃、掛り付けの医師との問診時カーブスに通っていることを知らせると、カーブスの運動について詳しくご存じで、
「それは良いことです。週三日位通うといいですね。」と、推薦して頂いていたのです。そのことを守り、カーブスの運動を続けてきた私の体は、今、何も語らなくても、救急医がはっきりと、体力を証明してくれました。絶対にカーブスのトレーニング成果だと納得し、継続が奇跡の快復力を生むと思いました。
点滴終了後退院し、迎えの家族と帰宅することになり真夜中の高速道路を走行してもらいました。自宅で十分な睡眠をとり、翌朝は付き添ってくれた仲間にお詫びの電話をかけることもでき、ほっとしました。
安心もつかの間、驚くことが起きてしまい掛り付けの医院に駆け込みました。それは、用便後の便器の中が、真赤に染まっているのです。経験のないことなので慌ててしまいました。薬を頂きましたが、同じ状態が三日間続いたので、何か悪い病気が誘発されたかと思い憂鬱な気分になりました。でも、あの時医師の言った「お歳にしては云々...」の言葉が活力となり、体力を信じ、全快を待つことができました。四日目、いつも通りカーブスに行き、平常心でトレーニングをしました。一週間過ぎには、正常な便になり心配はなくなりました。
このように、気を失ってから一週間という短期間で、普段通りの日常生活を送れる体に回復することができたのです。
現在、カーブス体験三年三カ月です。外見は、以前と変らぬ体型ですが、筋力や血管、内臓は、しっかり成果を収めていることを実感しています。それは、血圧が下がり、肩こりが直り、腰痛は軽くなっています。
これまでカーブスでトレーニングできた日々のお陰様に感謝し、これからも週三日のペースで継続できる努力をしたいと思います。
コーチの皆様のご指導には、心から感謝申し上げます。今後も、どうぞよろしくお願い致します。
佳作
「継続が奇跡の回復力を生む」
カーブスって
どんな運動?