私は41歳の時、頸椎の病気で左手と左足にしびれが残り4ケ所の大学病院で「完治は無理」と言われました。不自由な生活が続いてましたが嘆いてばかりでは前に進めません。
私はリハビリとして卓球を始めました。昔、小学5年生の私は全校の卓球大会で6年生の男子生徒に勝って優勝したことがあり(まぐれです)卓球に少なからず興味があったからです。
初めはリハビリのつもりでしたが、卓球の奥深さを知り徐々にのめり込んでいきました。夫の理解もあり、色々な試合にも参加するようになり、次第に生活は卓球一筋になりました。ほぼ毎日が卓球の生活は11年間続きました。いつの間にか左手と左足のしびれは、感じなくなっていました。
ところが体にある異変が生じたのです。それが〈変形性膝関節症〉です。
整形外科で左膝の溜まった水を抜き、試合には膝に晒を巻いて卓球を続けたのです。しかし、そんな日々は長くは続きません。
54歳の時、激痛で歩けなくなり主治医から「卓球をやめるように」と言われたのです。卓球をやめた私の生活が一変します。
整形外科に通うだけの生活に、〈うつ病〉になってしまいました。壮絶な〈うつ病〉の日々は4年間に及びました。一番辛かったことは〔食べられない〕事です。数カ月で体重が8kg減った時は、死が頭をよぎりました。夫と試行錯誤を重ねながら、たどり着いた病院で漢方薬を処方されたのをきっかけに徐々に食欲が戻ってきました。
それでも気力も体力も無く、一日の大半を寝て過ごす生活は変わりませんでした。
そんな時、ある転機が訪れました。夫の会社の移転です。私達夫婦は引っ越しする事を決意し、ここ川崎市に新たな生活拠点を移したのです。
しかしながら、58歳での引っ越しはとても大変でした。まだまだ続いている〈うつ病〉もあり、正直不安だらけの新生活がスタートしたのです。
新しい地で、心療内科医から「あなたの治療は出来るだけ外出することです」と言われたことが後押しとなり、私と〈カーブス〉との嬉しい出会いが始まりました。
引っ越して一カ月後、私は〈カーブス百合丘店〉に入会しました。寝てばかりいた私は入会当初、真っ直ぐ歩ける状態ではなく、這いつくばるようにフラフラ歩いて通っていたのを覚えています。週2日、火曜日と金曜日を目標にして通いました。
一年を過ぎた頃から私の体に変化が出てきました。
やっと歩いていた道も、スイスイ歩けるようになり、エレベーターしか使えなかったのに、階段を使ってみようかなという気持ちが芽生えてきたのです。
そして二年目には、心療内科の通院を終了する事が出来ました。
病院に行く回数が減ると、カーブスに行く回数も増え、週に3日か4日通うようになったのです。
カーブスは〈うつ病〉の改善だけではなく他の体の変化をもたらせてくれました。少し挙げてみましょうね。
規則正しい生活のリズム、睡眠の深さ、髪の毛の艶、爪の伸びの早さ、肌のハリ、風邪をひきにくくなった事、30年来の花粉症の改善、膝痛が治った事、体型の維持等です。
私が健康を取り戻し、一番喜んでいるのは夫です。〈うつ病〉の時は夫に大変な迷惑をかけました。仕事をしながら、ほとんどの家事をしてくれた上、嫌な顔一つせずおおらかな気持ちで接してくれた事は、心から感謝しています。
次に、〈カーブス百合丘店〉のコーチとの関わりを書きたいと思います。
入会時から店長には大変お世話になっており、頼れる大好きなコーチです。
ご自分のコンディションの悪い時もあると思いますが、微塵も見せずいつも変わらぬ態度で接して下さいます。又、他のコーチの方々も皆とても頼れるすばらしい方々です。
同じ女性として色々な事を相談したり、時には話し相手になって下さり、コーチの存在もカーブスの大きな魅力だと思っています。
最後に、今後の私の目標を書いて終わりにさせて頂きます。私の目標は〈健康美人〉になることです。私は今61歳ですが、残りの人生を多いに楽しみ、笑顔を絶やさず〈健康美人〉を目指して生きていきたいと願っています。その為にも今後もカーブスを利用させて頂きたいと思っています。
「カーブスを通して変わった私の毎日」
カーブスって
どんな運動?