私がカーブスに入会したきっかけは、近所の奥様からのお誘いが始まりでした。
話を聞けば、女性だけの筋トレをする場所で、コーチも女性で、マシンを使ってする運動で三十分間で終えられて、好きな時間に行けるということでした。特別に私は、足が痛い、腰が痛いという理由もないけど、なぜか引かれるものがあり、さっそく電話して体験することになりました。誘いを受けた奥様の話のとおり、コーチも入会されている方も女性だけで、雰囲気がとても良くて、迷いなく即、入会しました。仕事をしつつ、休みの日や仕事帰りなど、時間をみつけて筋トレに通っています。私は、二〇一〇年(平成二十二年)六月十四日に入会したので、もうすぐ七年目を迎えます。私が一番うれしく思うのは、体力が維持できていることと、近頃、体形が変化してきたことです。そして、骨密度が私の年齢の平均よりも上回っていることです。
そして体力年齢が二十代前半です。カーブスに入会して変わったことは、入会して一年数ヶ月経った頃、散歩するようになり、序々にジョギングするようになりました。私は走ることは嫌いで、学生の頃は短距離は一番最後か、後から数えた方が早かったので、運動会や体育祭はとても苦痛でした。
長距離に至っても苦手でした。しかし、テレビで観るマラソン大会の番組は好きで、あんなに走れていいなあ、すごいなあーと思ったものです。多分、私がジョギングしたいと思ったのは、筋力がついてきたので、次に何かに挑戦したいと思えてきたからです。自分ひとりでもできる事、とっさに浮かんだのが走ることでした。まず、マラソンについての本を数冊読んでみると、ランニングシューズは、しっかりした靴を選ぶこととあったので、少々値段は張りましたが、しっかりとした靴を購入して、はじめは主人に内緒で、こそこそと、ジョギングしていましたが、玄関に置いてあるランニング用の靴を主人がみて、そこではじめて、走っていることを伝えました。それからは、カーブスで筋トレすることと、時間をみつけては、走ることが日課になっていきました。そんな私を見て、何か大会に出てみたらいいのにと、アドバイスしてくれました。それがきっかけで、初のマラソン大会に参加することになりました。初のマラソン大会は、平成二十四年十一月十一日、私が住む、薩摩(さつま)川内市(せんだいし)で開催の、西郷どん御狩場マラソン大会の、十キロ、五キロ、三キロとある中、三キロに参加しました。
西郷どんとは、鹿児島の偉人、西郷隆盛が、薩摩川内市の湯田町にあるこの地に、狩りの宿として愛好された地で、全国名湯百選に選ばれた川内(せんだい)高城(たき)温泉郷です。スタートから、ゴールへは、ほぼ登りだけが続くマラソン大会です。私はとにかく、走りきることを目標に頑張りました。ゴールした瞬間は、さわやかで何とも言えない喜びを感じました。
初のマラソン大会時は、私は五十一歳でした。(現在は、お狩場マラソン大会はない)
それからは、近辺であるマラソン大会に参加するようになり、昨年の三月の川内川河口マラソン、ウォーキング大会で、はじめて十キロにエントリーして完走しました。
だんだんと走る距離をのばしていく内に、次への欲が出てくるのは不思議なもので、ある大会に参加して頂いた参加賞の中のバスタオルに書かれていた文章、「走りぬけ、自分の金メダルつかむまで」を見て、私の金メダル、私の金メダルは、フルマラソンを完走できた時だと思いました。
私の近辺であるフルマラソンを考えた時、第一回開催の鹿児島マラソン大会、次回は私も走ろうと思い、有言実行の為に日記に書きとめました。思ったら実行の私は、第二回開催の鹿児島マラソン大会に申し込みました。
しかし、今までのマラソン大会と違うのは、申し込み者全員は参加できないことです。
抽選に当選しないと走れません。
祈るような気持ちで、封書が届くのを待ちました。私の祈りが通じて、鹿児島マラソンの参加を手に入れました。もうあとには引けません。まだ十キロしか走れない私、どうしようと葛藤もありました。
走りたくても抽選にはずれた方達が、たくさんいらっしゃいます。あらたに自分に喝を入れることと、私の回りの方に、あえて鹿児島マラソンに出ますと宣言しました。宣言することで頑張る力がでてくると思ったからです。仕事しながら、時間をみつけて走る、カーブスに行く、これを続ける為に、私は朝ジョギングを開始しました。
その為には、睡眠もたくさんとるために、できるだけ早く寝ることにして、早起きして、暗いうちに走るために、反射タスキにライト、手袋、時計をつけて走りました。
しかし、順調にはいかないもので、今年の一月末、発熱と身体の節々が痛くて、病院を受診して、風邪それともインフルエンザかと思いましたが、どちらも違って、血液検査や尿検査の結果、尿からは、たんぱくと血尿がみられ、血液検査も赤血球の数値が悪く、一週間以上、発熱が続き、その為に食欲が落ちて体重や体力も落ちました。もちろん仕事も休みました。何が原因かもわからないまま、再度の尿検査で通常にもどり、血液も数値が元にもどりました。
仕事に行けるようになったものの、体力は落ちたままで、走ることは無理で気持ちばかりがあせりました。
鹿児島マラソンまで、日に日に近づく中、少しずつ身体を慣らしながら、ゆっくりジョギングを始めて、自分で決めたジョギングコース一周(三、八キロ)を、走りきれるようになり、タイムは遅いものの、毎朝、走り続けました。ジョギングコースを一周、あるいは二周走り続けることで、自信をとりもどせるまでになり、鹿児島マラソン大会の一週間前に開催の、いむた池梅マラソン大会で、十キロを完走して走れたことで、ウォーミングアップにつながりました。
いよいよ鹿児島マラソン前日となり、受付をすませて、ゼッケンを手にした瞬間は、私は走るんだと改めて思いました。
三月五日、日曜日、鹿児島マラソン大会当日、天気は曇で午後から雨のはずが、スタートの八時半には、ポツリポツリと降りだしました。スタート時、右も左も知らない人ばかりで、しかしこの一万人の中の人達は、皆ゴールをめざす為に並んでいる同志。
雨にぬれながら走りぬき、ボランティアの方々の給水所、沿道からの応援、ダンスやパフォーマンスしての応援で、途中、苦しくなっても頑張れました。応援あって、こそと思います。カーブスには、体が変われば心が変わる。心が変われば毎日が変わる。毎日が変われば人生が変わる。とありますが、私がこんなに走ることを楽しめるようになった事は、カーブスを教えて下さった奥様、そしてカーブスを続けることで、体力が増して筋力がついた事、指導して下さるコーチの皆さんに感謝しています。これからも、仕事とカーブスと走ることを継続していきます。
それが、これからも私の人生の楽しみであるから・・・・
佳作
「走ることの喜びと楽しさ」
カーブスって
どんな運動?