退職して数年たったある日、花苗の植え替えをするボランティアに行こうと自転車をこいでいて、上り坂がやけにしんどいことに気付く。さらに数日後、ソファーでくつろいでいる自分のお腹周りが以前にもましてブヨブヨしていることに愕然とする。同じ頃、左腕に痛みを感じてレントゲンを撮ってもらったら、肩の筋肉が無さ過ぎると通告された。
そんなこんなで運動しなければと考えていた矢先、買い物帰りの商店街でカーブス新規開店のチラシを貰ったのです。このタイミング!行くしかないとすぐに体験を申し込みました。
もともとカーブスには関心がありました。
理由その1、短い時間で済む。その2、マシンを使うのは女性だけ。その3、コーチが常にアドバイスしてくれる。などなど、ありがたい。退職してはいますが非常勤で仕事は少しだけ続けており、花や緑に関わるボランティアも趣味の墨彩画もあって、運動の時間が短いのは好都合でした。不安はマシンを使う運動が好きになれるかどうかでした。かつて行ってみた幾つかのジムでは身長150センチに満たない私がいざマシンを使おうとすると、まず高さや長さを思いっきり?!調整しないといけないのです。そしてこれで良いのか聞こうにも、いつもスタッフが傍にいる訳ではないということ。
その点カーブスのマシンやシステムは旨くできているなあといまだに感心するのです。
乗ったら誰でもすぐに始められます。最初はしんどかったのが、少し慣れてきてラクラクーと思い始めた頃「大きく、速く!」と喝を入れられ?!、本当に大きく速く動かしたら『えらい、しんどいやん』。始めた頃より今の方が疲れるという現実。つまり自分次第で幾らでもハードな運動ができるということです。体調の悪い時にはソフトにこなしてもいい。自分次第なのだけれど、マシンの使い方に変な癖が出る時などコーチに的確なアドバイスをして貰えるのは良いシステムだなあと思っています。40代までジョギングは楽しめていたもののマシンは自分に合わないと考えていましたが、カーブスのおかげでこの考えが払拭され、感謝、感謝。さらに頑張って、いや、頑張り過ぎずに続けていこうと思える理由です。
去年の春、83歳で母が逝きました。母は50代以降、子宮体癌、2度の脳梗塞、心房細動など数々の病をそれなりに克服して驚くべき生命力の持ち主でしたが、最期はすい臓癌の為、3か月足らずで亡くなりなした。検査入院後、自宅に戻りたいという母の希望を聞いて、私たち家族はどこまでできるかわからないけれど、自宅で介護することにしました。
母は我慢強く愚痴を言わない人だったので、介護する側も精神的には楽な方だったと感じています。しかし介護ベッドの位置は決まっていて部屋は狭く、一方向からの身体介助は、介助者にとって身体の或る方向、或る部分に偏った負担がかかります。私は自分の身体のバランスが悪くなると介護に支障をきたすと感じて、できる限り今まで通り、カーブスに通い続けようと決めました。
当初数回は、運動中も母のことが気がかりでなりませんでした。それは無理のないことです。でも私は気を散らしては危ない、それに筋肉を鍛えなければ結局母の身体を支えたりすることもできなくなると自分に言い聞かせて、集中することにしました。カーブスに来ている時には筋トレのことだけを考えるようにしましたが、後から考えるとこれは気分転換として良かったと思えます。介護する際にはヘルパー2級の講座を思い出しながら自分の身体にも負担をかけない姿勢をとるようにしました。私が、自分自身の身体のケアにこだわれたのも、決してカーブスと無縁ではないと感じています。自身の身体に目を向けること、大切にすることは基本中の基本で、それなくして周囲に配慮する余裕など生まれないのではないでしょうか。実際、私が傍にいない時に母がポータブルトイレを使おうとしてベッドからずり落ち、変な姿勢でベッドにも戻れなくなった時も、私は一人で対処することができました。ゆっくりと母を抱え上げながら、自分の筋肉がそれ相応の働きをしてくれているのがわかりました。今までより力強い私の身体、それが母の役に立ってとても嬉しかったのです。
主治医などの協力もあって、私たち家族は母を彼女の希望通り自宅で看取ることができた。私自身も身体を傷めることなく。
私は今日も明日もカーブスに、とは言いません。私のペースは2、3日に一度がいいとわかっているから。今日も明後日もカーブスを続け、歳の割にはまだまだ元気な実家の父をこれからも旅行に連れ出したいのです。少しの仕事、ボランティア、趣味を楽しみたい。
家事もほどほどにはしなければ。
そしてなるべく介護してもらう時間が少なくなるような生き方をしたい。これこそ私がカーブスを続ける理由なのです。
佳作
「カーブスとともに」
カーブスって
どんな運動?