カーブスと私とのつながりについて、お話したいことがあります。
私は、昨年の十月に十日間入院し、手術を受けました。三叉神経痛という口の中に激烈な痛みが走る神経痛です。一見して何も変わったようには見えません。五十才代に発症し、次第に痛みが激しくなりました。口を開ける度に激しい痛みが走ります。はじめは、食事の時だけでしたが、年令が進むにつれてひどくなり、昨年は鼻をかんでも、咳をしても痛み、痛みを考えると食事も喉を通らなくなりだんだん痩せてゆきました。もうどうにもこうにも、生きている限界という状態でした。
手術は脳外科の手術ですから、決断するのに勇気がいりましたが、とにかく痛みから開放されたい、手術が成功すれば、その先には痛みのない生活があるという一心の思いで、手術の成功だけを念じて受けました。
執刀して下さった木村先生との出合いが、今、生きている自分の出発点だと思うと、木村先生にはいくら感謝してもしきれません。それは、昨年(平成二十七年)十月下旬のことでした。手術は五時間かかりましたが、無事成功しました。集中治療室に運ばれて、「手術は終りましたよ。もう痛くないでしょ」と看護士さんに声をかけられて、麻酔から醒めました。本当に痛くないのです。まだ朦朧とした中で「うれしい」と言って泣いたことを覚えています。
手術後三日目からリハビリが始まりました。私は、入院前の二週間、できるだけカーブスに通いました。きっと入院生活で体力が衰えてしまうと思ったからです。
リハビリはベッドの上や、訓練室のマットの上で体を動かすことや、歩行訓練でした。点滴の棹を持って廊下を歩くことから始めて最終回は、院外の一般道を通り、坂の上の公園まで歩きました。それは、自宅に戻ってすぐに元の生活に戻れるようにとの配慮でした。「体がやわらかいですね」とほられましたので、「カーブスという体操教室に通っています」と言いましたら、「ああ街のあちこちにありますね」と療法士さんもご存知でした。カーブスって有名なんだと少し驚きました。そして退院の前日、リハビリの最後の日にこう言われました。「あなたの体はとても若いです。もし、この体力を維持したいのなら、これからもずっとカーブスの体操を続けて下さい。継続が何より大切なのですから」と。ええっ!?カーブスをそんなに認めてくれているんだ!と自分がほめられたことよりびっくりでうれしくなりました。すぐにコーチのところに飛んでいって伝えたい気持でした。
退院して五日目、カーブスに行きました。十日間の入院生活でも、あまり体力は衰えずに済みました。「カーブスに通っていたお蔭よ」と夫に話しました。
教室に入るやいなやコーチの先生が飛んできてくれました。私は早速、療法士さんに言われたことを話しますと、「それは、和子さんがいつも頑張っているからですよ」と、カーブスのことは置いておいて、私をほめてくれました。いつも感心するのですが、「ヒザがよくなったのはカーブスのお蔭よ、ありがとう」と言うと、「いやいや、和子さんが、頑張ったからですよ」と言って自分たちは、引き下がるのです。教室の誰にも同じようにやさしく言います。コーチの先生方の明るくて、誰にも気を配り、控え目な態度にいつも敬服しています。
私には、もう一つ、お話したいことがあります。私が忘れることのできないことです。いや、忘れてはいけないと思っています。私は、平成二十三年一月の末にカーブスに入会しました。そしてその年の三月十一日に東日本大震災が起きました。その日、私は自宅で地震に遭いました。午前中外出し、帰って遅い昼食を終え、立とうとした時でした。ただただテーブルにしがみついて動けませんでした。やっとのことでテレビをつけると「津波が来ます。急いで高台へ避難して下さい」というアナウンスが、くり返し流されていました。その後、怪獣のような猛り狂った津波が押し寄せてくる映像が映し出されました。
外はいやに静かで、何か気味悪い感じでした。自分が直接被害に遭ったのではないのに何も手につかず、食欲もありません。半ば放心状態で、今までに経験したことのない無気力で虚ろな精神状態でした。何とか心をとり戻そうと、庭の椿を切って一輪挿してみましたが、そんなことでは、どうにも心は癒されませんでした。
その時、自分がカーブスに行っていることに気づきました。震災三日目のことでした。入会して一カ月ばかり経った時です。「そうだ!カーブスへ行ってみよう。みんながいるかもしれない」と思い立ち、そろそろと行ってみました。扉をあけると、何人かの人がマシーンを扱っていました。コーチの姿も見えました。私は、なぜかほっとしました。「よかったーア」と胸をなで下ろしました。
「つながる」ことがこんなにも人を安心させ心を落ちつかせるものかと知りました。震災記念日が来る度に、私はその時のことをありありと思い出します。この「つながる」連帯の意識を持って、被災地の人々に思い寄せることが大切ではないかと思います。
私は今、「痛み」から解放されて、毎日が感謝の日々です。朝目が覚めると生きている有難さを実感しています。多少忙しくても、あまり疲れないのはカーブスのトレーニングのお蔭です。
カーブス川越岸町店は、家から歩いて七~八分のところにあります。教室は若い人たちが多く、明るくなごやかです。若い人たちとお話をすることで、いつも元気や若さをもらいます。私のエネルギー源の一つです。
私は今年七月で八十一才になります。あの療法士さんに言われたように、カーブスを続けることで、これからも体力を維持し、なるべく介護のお世話にならず、自分の力で生活できるよう願っています。
コーチの先生方、いつもありがとう!これからもよろしくお願いします。
佳作
「カーブスに感謝!」
カーブスって
どんな運動?