1937年(昭和12年)1男3女の末児と仕て生まれました。
小学校2年生の時に終戦となり、それからの生活は今思っても大変だったなと感じています。
でも健康であったことが幸いなことであったとも考えられます。
卒業と同時にN社に入社し、その後結婚、一男一女を出産し、共働きではあったが平凡な生活を送っておりました。
子供も大きくなり、長男夫婦の出産を期に長く勤めた職場を退社し、孫のお守りをすることと成りました。
孫のお守りと家事全般を受け持って、うれしくまた楽しい毎日を送っていました。
孫達の世話も大分楽になって来た事もあって、
私は以前着物の仕立てを少ししていたこともありましたので、今度は着付けの資格を取ろうと夜間に通い、
師範の資格が取れる直前に右足に違和感を感じ、正座をすることもひざをつくことも出来なくなり、断念しざるをえなくなりました。
病院に行くと以前より耳に仕ていた「変形性ひざ関節症」と言われ「やってしまった」と
ビックリするやらこの先どうしようと暗い毎日を送っていました。
病院に行ってもひざを温めるだけのリハビリで、何日たっても効果は出ません。
効果と言うより反対に右ひざの内側に腫瘍が出来ているのがわかり、手術となりました。
入院していても1週間に2度のガーゼの取替え、その内に手術した肉が上らず壊死してしまい、
2度目の手術で68日の入院となって何もする気がなく、時間があればテレビを見るだけの生活でした。
いつしか気持ちに明るさが消えていく様子が判るようになってしまいました。
通院することを条件に退院させていただきました。
家に帰っても小さな家の中、掃除等もすぐにすんでしまうし、だんだんと物足りなくなりイライラとして孫(弱い者)に辛くあたるようになっていきました。
これでは今に取り返しのつかない事になってしまうと思うだけで1日1日がすぎて、どんどんと自分を追いつめてしまうという毎日でした。
また半年後くらいからか、ひざの病と同時に今一つの病が進行していました。
気にはなっていましたが病について知識がなくどうすることも出来ませんでした。
その病とは「骨盤底筋離脱症」・・・私は膀胱離脱でした。
幸いなことに良い病院と良き先生に出合うことが出来、今では何もなかったかのように生活しています。
そしてある朝家族を職場へ、学校へと送り出して家事も済み、ひと休みしていた時、
新聞の折り込みチラシで「女性だけの体操教室」と書いたチラシを見付け、食い入るように読みました。
そうだここに行ってみようとすぐに電話をしました。説明会があるとのことで説明会に行きました。
これが私とカーブスとの出会いでした。
店長より教室の様子の説明とその後実際にマシンを操作してみました。
あまりきつくもなく、これだったら続けることが出来るだろうと考え帰宅しました。
が、翌日太ももが痛く歩くことが苦痛でした。これは昨日のカーブスでの運動で痛くなってしまったのだと思い、参加することにはしないことにしました。
その時、娘から電話があり昨日のことと、ももの痛いことを話すと
「それは教室ではないョ。お母さんの筋肉が遊んでいたからなのョ。様子を見ながら行った方がいいョ」
と言われ、気を取り直して行くことに決めました。
そしてこの頃の私は平地を歩くことは出来ても階段の昇り降りや、外出には「杖」をつかわなくては、の生活でした。
教室に行くようになって何日したでしょうか。杖は必要なくなり、教室の階段も一段ずつ昇ることが出来るようになりました。
また教室では私用の別メニューを用意して下さって、毎日教室に行くのが楽しく、朝は少し早めに起きて大体の家事をすませて教室へと行きます。
教室には店長、コーチ、そして大勢の仲間がいる。
入会して1年9か月あまり、今までは足(特に右足のもも)のことを中心にマシンをして来ましたが、
3年目に入った時には体重ダウンもメニューの中に入れようと思っています。
そしてどうしてもお話ししたいことは、この1年半ばかりで、
1. 階段をゆっくりではあるが昇ることが出来てきたこと。
2. 最近は椅子から立ってすぐに第1歩をふみ出すことが出来る様になったこと(以前は立ち上ってから3~5秒くらいたたないと第1歩をふみ出す事が出来なかった)。
3. 夜中に足のつることが少なくなって来たこと、です。
また私は1年に何回となく観光地へのバスツアー、全国へ本当によく行きましたが、
今はチラシを見て行った気分になっている自分が少し情けないとも思えます。が、今はゆっくりですが外出も出来ます。
バスツアーで遠くまで行ける日が1日も早く来ることを楽しみに仕ています。
今年の4月で77歳、喜寿になります。
今はカーブスに行くことが楽しくもあります。そしてこの時間が私の一番大切なひとときでもあり、自分が癒されるのです。
この年令になってこのような楽しみいっぱいの時間が持てるとは思ってもいませんでした。
この30分間という時間をこれからも有効に、また宝物としていこうと思います。
教室のマシンが私達女性に良いだけでなく、私の病気には「ヒップアブダクター/アダクター」が良いとカーブスマガジンNO.27に記されておりましたので
一生懸命に操作して早く良くなりたく思っています。
明日も良い天気でいい1日が送れますことを願っています。
佳作
「カーブスを通して私はこの様に変りつつあります。」
カーブスって
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