私は83歳、仙台空港と関上との中間に位置する名取市、杉ヶ袋の地で生まれました。 勿論3.11の東北大震災の津波ですっかり生家はなくなってしまい 現在は更地になった後に数本の木々が生き残っているだけの何とも寂しい故郷になってしまいました。 昭和32年5月に結婚し、福島の地に参りました。長男、長女と二児に恵まれ平穏な家庭生活をすごして参りました。 私はお勤めもしませんで好きな家庭菜園と庭いじりに夢中でした。

 その間、夫の病気等で大変だった事もありましたがお陰様で何とか乗り越えてすごして参りました。 平成15年2月、最愛の母(母子家庭で育った私)を亡くしました。 悲しんでる間もなく5月には夫が突然脳梗塞で倒れ、リハビリの甲斐もなく車椅子の生活になってしまいました。 夢中になって看病、そして介護を致しました。 健康には誰にも負けない自信を持っておりましたが・・・心身共々立ち上れない程ズタズタに疲れ果てダウンしてしまいました。 夫共々、郡山に生活している息子夫妻のところ(マンション)に住民票を移し、 夫はホームにお世話になり、私は時折病院に通うだけの生活に変わってしまいました。 毎日毎日が無気力な生活で夫の介護も出来ず、情けない自分に、生きている事が本当に辛らい毎日でした。 平成22年8月、夫はこの世を去りました。

 ダウンしてしまった私の事を思いながらどんなにか淋しくあの世に旅立って行ったことかと、 申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになり、今だにその気持ちはぬぐい去る事は出来ず、 これからもずっとずっと思い続ける事でしょう。 平成23年3月11日、14階建てのマンションの一室で1人でテレビを見ていた時、凄い揺れに驚き、 物が倒れて来てドアが開けられず、「外に出る様に」との声が聞こえても出られず、とてもとてもおそろしい思いを致しました。 ドリルでドアを切開いた始末。結局マンションは半壊の判定でした。

 2、3日が過ぎ、仙台空港の屋上で助けを求める大勢の人のニュースが目に入り、名取の生家の事が心配になり、 やっとの思いで連絡が取れ、姉の無事を知りホッとしたものでした。 病院に通う以外は一歩も外に出ないで過ごしていた私が姉の事や生家の事が心配になり出し、 思い切って5月に姉の避難先の仙台に(息子の車に乗せられ)出向きました。 色々な手伝をしているうちにほんの少しずつ私の健康状態が快方に向かって来ました。 姉の健康状態が悪かった事や生家がなくなってしまった強い衝撃がきっかけとなったのでしょうか? 体が動けるようになって来ました。

 今度は福島の自分の家(8年も放ったまま)が気になり出し、郡山から度々足を運ぶようになりました。 家は白蟻が食べ放題、庭はジャングル、芝生は放射能が高く、手のつけようもない有様でした。 まず一部屋だけ住める状態にして、すべて業者さんに依頼し、1年近くかかってやっと元通りの家になりました。 名取の生家に行き、療養をしてくるとだけ話し、我が家を出た私。 音信不通にしてたので「生きてはいないのでは」と話し合っていたそうです。 皆に心配をおかけしてたことを本当に申し訳なかったと悔いています。

 そんなこんなしているうちに1人の友人からカーブスを勧められました。 車で教室を案内して下さいました。それが去年の2月27日。何故かすっかり気に入ってしまい、その場で即決、入会致しました。 最初は夢中で12のマシンを使うのに精一杯でした。だんだんと日を重ねていくうちに余裕を持って楽しく動かせるようになりました。 オブリークはとても大変でした。またレック・プレスは自力で足が上らなくて両手を使って足を上げました。 それがだんだんとスムーズに足が上がる様になりました。又すっかりなくなってしまった腕の筋肉も所々につきはじめ、 今では驚く程、もりもりに付きました。 コーチの方々にお見せしては自慢しています。 バケツの水もたくさん水を入れて持てるようになりました。

 一昨日は通院している主治医の先生に手を握り、腕の筋肉の付き具合をお見せしたら、 大変驚かれ「自分の母親にもカーブスを進めようかな」と話されました。 カーブス教室まで2、3kmの道程をシルバー・カーで通っていますが、車なしでも歩けるようになりました。 2月には沖縄クルーズの旅を楽しんで参りました。カーブスで筋力をつけたお陰です。 筋力をつけることの大切さ、そして有難さが身に沁みて痛感致しました。

 また色々な方との出逢いも本当に楽しいものです。 息子の小学校の時の担任の先生に40数年振りにお逢いし、今度は親(私)がお世話になっています。 1年で得た私の体験を通して皆様にカーブスのすばらしい効果が目に見えて表れた事等々お勧めしたい所存です。 今、心身が健康になった私、この感謝の気持ちを何か形に表して出来ることがないかと考えるようになりました。 どんな小さなことでもいい、人のお役に立てる事はないかと・・・「今でしょ」。 思いついたのが、私の家の両隣り、1人は奥様を亡くされ、1人は今ホームに入所され食事作りに大変困っておられる様子を見て、 私に出来ることで、朝食だけでも作ってお届けしようと思い、実行しています。 「美味しかったよ」と毎朝声をお聞きするのがとても嬉しく、自己満足ですが、今、私の生き甲斐になっております。 お料理を作る事が大好きなので、反対にこちらが楽しませていただいてます。

 今80才を過ぎてどれくらいこれから続けられるか分りませんが、 カーブスに通わせていただいている間は大丈夫だと自信を持っております。毎日の生活が充実して楽しく、夢のようでございます。 「健康に勝る宝なし」 カーブスは身も心も健康にしてくれる不思議なマシン。声を大にして叫びたいです。最後にカーブスとの出会いに感謝、感謝、感謝です。

うれしい時、悲しい時、拙い短歌を詠んでいます。


再会を泪で祝う友ありて、老いゆく我に力くれたり。
カーブスに通いはじめて数ヶ月 バケツの水もかるがると持つ。
浜菊は津波さらいし故郷に 凛と咲をり我も凛とす。
今年又皆の好意に支えられ老い行く我は楽しく生きん。