運動嫌いの私がカーブスの門を叩いて早6年。2010年にこのエッセイ大賞でグランプリを頂いてから、もう3年が経とうとしています。


 本当にあっという間の年月でした。自分でも驚くくらい続いている理由の一つに、母のカーブス入会があります。私の母は20年来の狭心症と、逆流性胃炎、骨粗しょう症、それらの薬の多用による副作用で体中ボロボロの状態でいつもどこかしら体の不調を訴えています。そんな母を見ているのは娘として大変辛く、その上気分が常に落ち込みがちな様子を見るにつけ、なんとか体力を付けて少しでも元気を取り戻してほしい、と考えていましたが、近所にはカーブスがなかった為、歯がゆい思いをしていました。
 嬉しい事に、昨年やっと待望の新店舗がオープンすると知り、早速母に勧めてみました。すると案の定、「私なんてもう歳だから運動なんて無理、体も悪い所だらけで筋トレなんてとんでもない」等と言っては重い腰を上げようとはしてくれません。それでも根気よく説得を続け、なんとか見学に行かせる事に成功しました。とても慎重で引っ込み思案の母が、見学に行っただけでも物凄い進歩です。
 なんとか続けてみようという気持ちに持って行くまで、あれこれ不安や心配事を聞かされる羽目になりましたが、私は自分自身の成果も大げさに表現し、母の気持ちをなるべく前向きにするよう努めました。もちろん狭心症をはじめ、その他の内臓疾患や体の不調を治す事は不可能ですが、騙し騙し続けている様子を聞くと、母を将来の寝たきりから遠ざけてあげられたと、喜ばずにはいられません。と、ここまで私がさも優しい母思いの娘のように書いてしまいましたが、実情はそんなものではありません。


 私は三人姉妹の長女として育ったので、子供の頃は本当に厳しく育てられました。「お母さん~!」と母にまとわりつき、抱きしめられた記憶はありません。その膝や腕は全て妹達のものでした。物心ついた時には既に2歳下の妹が生まれていた為、本当に心から母に甘えた記憶はなく、いつも心のどこかで不満とやりきれない思いを抱えたまま大人になったのです。そのせいか、いまだに自分の本当の気持ちを素直に表現することは苦手だし、母に面と向かうと自然と口調がきつくなります。実際、母は私の事をとても冷たい、そっけない、と妹達に愚痴っているそうで、私達母娘の心の擦れ違いはもう何十年続いていることやら・・・。
 でも、私は自分の事は自分で決めなければ生きて行けなかった、甘えることは不可能だった、我儘は妹の専売特許だった。しっかりしなきゃ、と思ううちに、自分にも他人にも厳しい人間になってしまったと思います。そんな訳で、私の説得の言葉は本当に脅しでした。「寝たきりになっても私は面倒みないよ、意識があるのに体が動かないまま、ただ生きてるだけなんて、そんなんで良いの?私は知らないけど!」なんて、年老いた母に言い放ったのです。ダメですね、本当に娘失格です。心では、もし母が寝たきりになっても車椅子に乗せてどこにでも連れて行ってあげよう、なんて思っているくせに・・・。でも、その気持ちは母には言いません。人間は自分の心に鞭を打ってでも努力しないといけない事があると思うから。どんなに運動が嫌いでもどんなに年をとっても、死ぬまで自分の足で歩くために、自分の体のケアは、全ての今通常の生活を送れている人の義務だと思うから。愛する家族があるなら尚更です。
 私がそんな風に思うのには理由があります。10年前に亡くなった私の祖母は、内臓は丈夫でしたが、眼が悪く晩年にはほとんど見えない弱視の状態でした。その上、転倒して骨折した事がきっかけで寝たきりになり、亡くなるまでの長い年月、介護施設で過ごしました。耳も遠く、眼も見えないけれど意識ははっきりしていて、驚く程しっかりしていました。寝たきりでも、せめて眼が見えていれば、テレビや周りの景色で心を和ませることも出来たでしょうが、それも出来ず日がな一日ただ寝ているだけ、そんな生活を想像するだけで、気が遠くなります。
 たまに会いに行くと、「早くお迎えが来て欲しいのに、ちっとも逝けない。」とこぼし、とても悲しい思いをしたことを覚えています。大好きだった祖母のそんな言葉を私は死ぬまで忘れないでしょう。今でもその時のことを思うと涙がこぼれます。祖母は丈夫な体の大切さを身をもって私に教えてくれたのです。だからこそ、母には絶対同じ道を辿って欲しくない、この気持ち、母に通じているでしょうか?私には現在高校生の娘がいます。母にとっては初孫で、特に可愛がってくれています。当面の目標は娘の花嫁姿を母に見せること。
 歴史は繰り返す、因果応報、という言葉がありますが、私の娘も又、下に甘えん坊の弟をもつ長女で、私に輪をかけた厳しい女の子です。滅多なことで弱音を吐きません。甘える素振りも見せません。つまり、今の私が母に見せている態度を、数十年後今度は娘が私に見せるのでしょう。それは仕方のない事です。私はその運命を受け入れ、死ぬまで自分の心に鞭を打って元気で明るい母でいなければならないと思っています。そういう星の下に生まれた人間なのでしょうから。
 でも、一つだけ確信を持って言えることは、母も私も、そして娘も根底には愛情がある、ということです。親だって人間であり神ではないですから、恐らく母は必死で三人の女の子を育てたはずだし、心に余裕がなくて当たり前、未熟な私にはそれが理解できなかったけれど、今現在私が娘に厳しい言葉を投げかけながらも、娘を心から愛している気持ちと何ら変わりはないはずです。それがわかる年齢になった今では、こうして祖母、母、私、そして娘へと愛情のバトンを繋いでいければいいな、と思っています。筋トレを続ける事で、筋力がつくだけではなく、心が強く前向きになるなんて、カーブスに出会うまで私は知りもしませんでした。今、それを知って少しだけ言葉が前向きになって来ている母に、老後はただの死への滑走路ではなく、一日一日が、幸せな人生を全うする為の大切な宝物だと気付いて欲しい。


 カーブスのスローガン「女性だけの」という言葉には、いろんな思いが籠められていると思います。母娘ももちろん女性同士、しかもお互いを深く思い遣る間柄です。その大切な母に、少しずつだけど下半身の筋肉がついてきたこと、肩こりがましになった事、否定的な言葉ではなく肯定的な言葉が出るようになった事を思うと、カーブスとの出会いに感謝せずにはいられません。母に脅しをかけた手前、私自身何としてもこの習慣をやめる訳にはいきませんし、女性として生まれてきた喜びを噛みしめ、そして今健康で筋トレを続けていられる幸せに日々感謝し、これからもカーブスと共に歩んで行きたいと思います。