カーブスの存在を知ったのは、約十五年前テレビの情報番組だった。東京のある駅近くのカーブスの様子を紹介していた。「女性限定」「好きな時間に」「手軽に三十分」「主に中高年対象」そんなキーワードが頭に残った。
当時、私は夫と一緒に関東に住んでいた。転勤族だった為、その土地その土地で、スポーツクラブのエアロビクスとか、アクアビクスとか、マシンと有酸素運動を組み合わせたコースとか、週一、二回程度運動する生活をしていた。
十二年前、新潟県に住む姉がカーブスに入会した。会う時には、カーブスの話やカーブスマガジンを見せて私に勧めてくれた。でもその時は通える範囲にカーブスはない為、『いつかね』という気持ちでいた。
それから数年後の秋、実家の父が他界した。これから冬を迎える頃で、残された八十代の母のことを心配した。雪国の高齢者は、冬は特に家に籠ることが多くなる。運動不足になる。これからの母のことを考えて、姉は母にカーブスを勧めた。母は若い頃にバレーボールなどやっていたことがあり、運動は好きな方であった。
父の四十九日が過ぎた頃、母はカーブスに入会して、姉と週一・二回通うことになった。母は、カーブスに行く時は面倒だなぁと思うことがあっても、帰りは楽しかった、スッキリしたと明るく前向きになれたと言う。
そして、いよいよ私も前橋市に引っ越した時徒歩十分の所にカーブスがあり入会した。帰省する折には、トラベルパスポートを利用し郷里の新潟県加茂市のカーブスで筋トレをすることが出来た。
ある時ひらめいたことがあった。そのトラベルパスポートを利用し、母と姉が通う三条市(加茂市の隣り)のカーブスへ私も行ってみよう。三人で筋トレをしよう。そうすれば私も母の様子がわかる!と思ったのだ。やがて、それが実現した。姉・母・私と並んで筋トレが出来た。貴重な思い出である。
母は長い間、糖尿病の持病があり糖尿病網膜症で視界が狭くなったり、視力が落ちて来ていた。だから、筋トレで移動する時は恐る恐る慎重に手を伸ばして動く。また几帳面な性格なので、マシンを使い終ると丁寧に戻す。マシンの使い方が思った以上に上手だった。また、周囲のコーチや一緒に筋トレしている仲間が温かく見守ってくれているようだった。有難いと思った。
現在、母は九十一歳。カーブスの筋トレは、もう大変かな?と思えたので、九十歳の時に七年間続けたカーブスを辞めた。辞める時にコーチの方々が温かいメッセージを色紙に書いて贈って下さった。
母は今、運動を主とする半日のデイサービスを利用している。カーブス時代にやっていたことが役に立ち、運動のやり方の呑み込みが早く、上手に出来ているようだ。
母のカーブスに通った日々は貴重だったと思うし、よくがんばったと思う。また、母をカーブスにと考え、連れて行ってくれた姉に心より感謝したい。
私は三年半前、夫の定年退職を機に加茂市に戻りカーブスを続けている。カーブスに入会して六年目である。
姉はカーブス十三年目である。大先輩だ。
今でも母娘達でカーブスは共通の話題として盛り上ることが出来る。