現在六十八歳の私は、昨年でカーブスの在籍年数が十年を越え、この度ゴールドカードを手にすることができました。家から徒歩十五分の距離に整形外科があり、そこでのリハビリ治療の後、十分程歩けばカーブスに着きます。駅近のカーブスからの帰りは、登り階段が多いため、最近ではバス利用に切り替え、バス停から七・八分歩いています。この行程が今ではすっかりルーティーン化し、生活の一部になっています。思い起こせば十余年前、左足の膝に激痛が走りました。原因は軟骨のすり減りで、整形外科からは「すり減った軟骨は元に戻らない。そこで骨同士がぶつかり、摩擦を防ぐためには、筋肉を付ける以外に方法が無い。」といった内容の説明でした。リハビリ治療が始まるなかで、その効果に半信半疑ながらも、痛みが序々に緩和されていったのです。ただ「リハビリ治療だけでなく、もっと積極的に筋力を付ける何かをしなければ!!」とも、思っていました。そんななか、たまたま友人との食事会の席に、カーブスに在籍している友達が居ました。私の状況を知ったうえで、自分の体験も踏まえ、色々アドバイスをくれました。友人の勧めで入会はしたものの、余り乗り気で無いのが本音でした。おっかなびっくり、手探り状態で始めたカーブスで、最初に気付いた大きな驚きがありました。寸胴で微塵も無かったウエストのくびれが、はっきり現れたのです。周りのメンバーさんからの指摘もあり、うれしい限りの出来事でした。そして年月を重ねていくうちに、インストラクターからのアドバイスや筋トレ効果についての説明、それに関して得られる掲示板・冊子からの情報などが、いちいち腑に落ちていったのです。それでも十年の時の経過には、色々な出来事がありました。右足に痛みが出た時には、それまでの経験から色々工夫したことで、痛みが大部軽減されました。嫌気の虫が頭をもたげた時には、インストラクターからの絶妙なタイミングでの声かけや、メンバーさんとの何気ない会話や頑張る姿が、私を後押しする力になりました。
私が四十一歳の時、家族で横浜から横須賀に転居してきた際に、引っ越しに関わる雑務から、極度に体が疲労していた様です。初めてのぜん息発作は、風邪としか思えなかったのに、完治までに数ヶ月を要しました。それから二・三年に一度位の割で、そのきっかけは様々でしたが、発作を起こしていました。
それがカーブスに通い始めたことで、その発症が押さえられた様なのです。四年前に一度だけおきたのは、群馬在住の母が亡くなりその前後数ヶ月間、長い往復の道程を、何度も行き来していた頃でした。その頃、私は体の悲鳴に気付かず、再び発作を起こしてしまいました。しかし今回に限っては、その回復力に目を見張り感心してくれたのは、かかりつけ医でした。「そう言えば、風邪での受診が無くなったね。」とも。整形で受けるマッサージにおいても「体に触ると、マシンをきちんと動かしている体なのが、よくわかります。」と言われました。それでも、ともすると変化が少なく平穏な日々は、余りにも当たり前に感じ過ぎてしまう自分が居ます。
そんな平和な日々を、現在三年目に入った新型コロナが、根底から覆えしてしまいました。当初、大型客船での集団感染、テレビで見慣れた芸能人の突然すぎる訃報、スポーツジムでのクラスター発生などが、その感染力の強さや、正体のわからない感染症の蔓延が、私たちを脅かしました。「もしも自分がその渦に取り込まれてしまったら、きちんと治療が受けられるだろうか?」そんな疑問を、どうしても払拭することができません。そこで私は、コロナを回避する述として、家に籠る事を選択しました。娘が学童の指導者をしていて、何よりも私達夫婦からの二次感染を恐れたのです。私はぜん息の持病もあるので、カーブスを三ヵ月間休会扱いにしてもらい、日々混雑状態の整形の通院も控えました。美容院に至っては、足が遠のいてしまいました。家に籠った事で、歩行機会・歩行量ともに減り、他人との何気ない会話も皆無になって、さすがのポジティブ思考の私にも、ネガティブ思考が忍び寄ってきました。挙げ句の果てに、五キロも太ってしまったのです。家に籠っているのも、とてもつらい日々でした。そして三ヶ月が経過した頃に、序々に恐る恐る手探り状態でしたが、日常を取り戻す行動を再開した次第です。その頃には、コロナの正体やその対処方法も、少しずつ知られる様になってきたので、整形・カーブスともに、比較的空いている時間帯を狙って、行くようにしました。むろん行く回数についても以前より減らして様子を見ました。カーブスでは当初、ビニール手袋の用意があって、私の恐怖心を軽減し、随分と気持を楽にしてくれました。他にもお教室での感染対策として、アルコール消毒はもちろんのこと、換気の徹底、マシンの設置間隔の変更、下駄箱・ロッカー削減による収容人数の調整など、色々工夫している様子が見て取れ、安心して通うことができました。ゆっくりと以前の状態に戻したので、体が着実に変化する過程を実感することができました。「たんぱく質を摂取し、筋肉トレーニングで、筋肉を形成・維持し、健康な体作りを心掛ける。」今まで何気なく、目や耳から入った情報の意味を、改めて再認識した訳です。
いつも「えりちゃん、えりちゃん」と声をかけてくれるメンバーさんに、整形で顔を合わせた時のことです。「九十歳を迎えて、カーブスのマガジン掲載を依頼され、抽選の結果掲載が決まった。」との報告でした。その喜びはもちろんの事、とてもその年令には見えなくて、何よりもびっくりでした。「私も彼女を見習い筋トレを頑張り、長く続けなくては!!」と決意を新たにしました。自分の周りを見渡すと、寄る年波からか体のあちこちに、変調をきたしている他人が居ます。本当はその方々にも、声を大にして「たんぱく質の大切さ・筋トレの大切さ」を声を大にして、叫びたいくらいです。ただ人それぞれには、歩んできた人生があり、培ってきた考え方があります。ともすると人は、目や耳から入ってくる情報よりも実際に体験して得られる情報を優先しがちです。そんななか、新しいチャレンジを一歩踏み出すには、相当な勇気と覚悟が必要だと思います。それでも全ての人が「老後の人生を充実したものであって欲しい。」と願って止みません。私自身色々恵まれているので、カーブスや趣味の大正琴と色鉛画を続けられています。いつも感謝の気持を忘れず、健康な心と体を維持する努力を、怠らない自分でありたいと思っています。最後に私のエッセイを読むことで、カーブスを始めるキッカケ作りや、継続の力になってくれたら幸いです。
入賞
「カーブスを続けて十年」
カーブスって
どんな運動?