八年前、カーブスと出会った私ですが、おかげで心身のコンディションを保ちながら毎日楽しく通っています。

 メンズカーブスが隣に出来たことにより、今では主人と二人で通う日々があります。

 今日までのいきさつをふり返りながら、「カーブスとの出会い、そして今」(パートⅡ)の寄稿をしてみました。

 腰痛に悩んでいた私が、知人の紹介によりカーブスと出会い、まず心が変化(前向き)そして体の変化(腰痛の改善、コルセットなしの生活に戻れた感激)と、その効果を信じほぼ毎日通い続ける私が、どんどん元気になっていく姿を見ていた主人の一言。「男性の教室はないんか?」自分も行きたいという思いがこの質問でした。当時女性限定の教室で、男性のがないことはとても残念な事でした。

 私が通い出して数年、お互い年を重ねながら、与えられた今生、どうせなら前向きに楽しくと過ごしていた矢先、主人が脳梗塞で倒れ、三ヶ月の入院...。介護度四という全くの別人になって帰って来たのです。
命が助かったことに感謝し、ありのままの主人を迎え、私の介護生活が始まりました。
 着替え、排泄、食事の介助に訪問看護(入浴)リハビリとできる事は何でもという気持でした。幸い、右半身のマヒがあり不自由ながらも、なんとか歩け(要介助)会話もできた事は不幸中の幸いでした。とはいえ、最初はせん妄がみられたり、転倒したら一人では起き上れない等、目の離せない状態からの出発でした。

 退院して四ヶ月経った頃、なんと私の通っている隣に県下初のメンズカーブスがオープンしたのです。元気な時あんなに行きたがっていたメンズカーブスの開設でした。しかし、どう考えても今の主人の状態では無理...。

 なんという皮肉なタイミングでしょう。

 主人がメンズの開設を望んでいる事を知っていたコーチから、すぐご主人もと声がかかりました。実は...と現実を話し、介護効果が少しでも現われ、なんとか通える日が来ないかという思いでした。

 毎日二人三脚でがんばる内、退院後四ヶ月経った頃、主人の状態を話し、受け入れの可否を相談したところ、少しずつ回復している事を我が事の様に喜んで下さったコーチの皆さん。後は、本人が今でも筋トレする気持ちを持っているかが問題でしたが、ある日、手を引いていつもの散歩中。「お父さん、メンズカーブス行ってみる?」とたずねたところ。「そうじゃなー、行ってみようか」と前向きな返事が返ってきたのです。とは言え、靴をはくこと、ぬぐことから介助を要す身、玄関まで私が付添いますが、後はコーチにお願いするしかありません。迷惑をかける事に申し訳なさがありましたが、一番有難かったのは、他の元気な動きをされる方とは全く異にする主人を温かく受け入れて下さったことでした。

 主人も最初はやりたい気持ちと、うまくできない不自由な体とつきあいながら、サポートして下さるコーチのプロ接遇に助けられ、最初はできそうな所から一つだけ......。その内二つ、三つとマシンとつきあえるようになり、体調に合わせながら、コーチ陣の見守りの中で、週一~二回通いたかったカーブスへの仲間入りをさせていただけたのです。

 まだまだ元気な方のようにはいきませんが、「今日は、筋トレの日」と自分からシューズ袋片手に、私をせかす位になってきたのです。不自由な体で、イヤがらず進んで臨もうとする姿勢は、ちょっと意外でした。(疲れたりしていやがったり、やめたいという日が来る事も覚悟していましたから...)

 ふり返ればやはりその裏にコーチ陣の一対一の温かいサポートが何よりの励みになったのだと思っています。そして、ふと気がつけば、必ず付き添っていた散歩も「一人で大丈夫!」と言って私を必要としなくなり、衣服の着脱も足や手を出すだけの状態から、自ら時間がかかってもできるようになっていったのです。

 倒れて一年八ヶ月。どうなる事かと思った当初が、今や想像以上の回復を見せてくれ、嬉しいやら、有難いやら、お世話になった多くの皆さんのおかげと感謝する毎日があります。

 先日、介護認定の見直しがあり、なんと!介護度四から一気に介護度一へ(これにはびっくり)、機能回復が認められた瞬間の嬉しい悲鳴!

 リスクの高い手術を二度も受け、一時はダメかもしれないと覚悟した人が、今、こんなにも順調な回復を見せてくれているのです。

 とは言え、病気(再発のリスク)を抱えている事は変わらないのですから、一日一日を大切にしたいが二人の合言葉です。

 今、日々がとても幸せで、一日の始まりに「今日もよろしく」を忘れない。一日の終りに「今日もありがとう」を忘れない人生の最終章にしたいと思っています。