「また来ます」最初の入会以来八年間で二回、カーブス店内の片隅のテーブルで退会手続きを終えた後、私はこの言葉をコーチに言いました。
そして、溜まったポイントでカーブスのTシャツとソックスをお願いしました。再びこのTシャツを着て、ソックスをはいて、カーブスで運動をする、という意を込めて。
私がカーブスに入会したのは、平成二十七年四月です。ヘルスメーターに出る基礎代謝量の低さと、筋肉量の少なさが以前から気になり、何とかしなければとは思っていました。二十八年続けていた仕事を辞めたのを機に、何か運動を始めようと思っていました。
カーブスの話は数年前から通っている友人に聞いていましたので、頼んで連れて行ってもらいました。基礎代謝量・筋肉量増加・運動不足解消以外に、実は期待していたことがあります。それは、当時十三年来の持病になっていた潰瘍性大腸炎の完治です。特定疾患、いわゆる難病です。
入会してまず驚いたのは、苗字ではなく「理絵さん」と名前で呼んでもらえることでした。何十年ぶりでしょう。これはとても懐かしくもあり、新鮮でもありました。
次に驚いたのが、入退室時にコーチが名前を呼んで声がけして下さることです。私が店内に入った事も帰っていくことも知っていてもらっていることは、心強く嬉しいことでした。たくさんメンバーさんがいるのに、ピーク時にも必ずもれなくです。これには本当に驚き感心しました。
さらに驚いたのは、メンバーさん達が元気で明るく優しいことです。友人と時間帯の都合で合わず一人で来るようになった私を、メンバーさん達は温かく受け入れて下さいました。
他の人との運動能力の比較ではなく、自分のペースで自分なりに少しでも進歩できるようにマシンを使って運動すればいいのも驚きでした。ここなら運動が得意ではない私でも運動できる、長く続けていける、と思いました。
以来、コーチに指導していただき励ましてもらいながら、週二回、自分なりにカーブスでがんばることが日課になり、楽しみになっていました。
ところが、入会五年目が近づきゴールド会員になるのを楽しみにしていた矢先、令和二年三月、新型コロナウィルスの感染拡大により、思いもよらないあっけない退会となりました。
家族の反対があり、持病もあるので諦めました。感染が収束したら再開しようと思っての「別れは言いません。また来ます。」でした。これが最初の退会です。
なかなか新型コロナウィルスの感染は収束せず、待っていてはだめだと思いその年の十月に再入会しました。今度は年若い友人と一緒の入会です。私が退会していたため、彼女には少し待ってもらっていたのです。
七か月ぶりに通うカーブスは、以前とは少し違っていましたが、やはり元気が出る楽しいところでした。今度は二人なのでさらに楽しさが増します。このままずっと続くだろうと思っていましたが、私が続けられなくなりました。
令和四年一月下旬、二度目の退会手続きをしました。年末に夫が入院し、年明け早々に全く希望の持てない在宅療養となったからです。主治医の先生からは目が離せなくなると言われました。こんどはつらいつらい「また来ます」です。
また来れる時には夫はこの世にいないのです。コーチも絶句。私を慰め、再燃していた私の病気を心配してくれ、静かに励まして下さいました。「いつでもいいので待っています。」私は涙をこらえて、この時もカーブスグッズを受け取りました。
再々入会は令和四年四月下旬。退会手続きをして数日後に夫は旅立ちました。しばらくは何もする気力がなかったのですが、何かと励ましてくれた一緒に通ったあの友人が、カーブスに誘ってくれようやく決心しました。半年間支えてもらいました。彼女は色々と忙しくなり、今は一人になりましたが、私は元気にカーブスに通っています。
残念ながら都合よく魔法はかからず、持病の完治には至っていません。けれど、寛解期が長く続くようになりました。薬は手放せませんが、おかげ様で極端な食事制限をしなくてもほぼ普通に生活できています。
基礎代謝量は相変わらず低く、筋肉量も少ないですが、入会前と比べると少し良くなっているようです。体力もついてきたと思います。
「また来ます」
私が二度そう言えたのは、私にとってカーブスが大切な場所だと分っていたからです。
カーブスは自分で自分を鍛えていく場所だと分っていたから。私でも無理なく続けていける場所だと分っていたから。いつも励ましてくれる水先案内人のコーチがいてくれる場所だから。明るく元気に努力している仲間がいる場所だから。一人でマシンを動かしていても決して一人ではない場所だから。あらゆるところからエールをもらえる場所だから。
カーブスは、これから元気に年を重ねていくのに必要な場所だと分ったからです。