私はカーブスに入会し一年になります。この一年を通して、心も体も大きく変わり"今日もカーブスに行って心も体もリフレッシュしよう"と意欲的になりました。

 そして、沢山の喜びや驚き、また、不思議な出来事にあい"カーブスってすごーいところ!"私に最高の魅力を与えて下さった女性の体操教室と思いました。なぜカーブスに魅せられたのか思い巡らしながら、私の体の歴史に触れてみようと思いました。

 戦後間もない時代にこの世に産声をあげました。食料難でミルクの粉など自由に手に入らず、母乳の出なかった母は、米を粉にして母乳のかわりに私に与え育てたそうです。その様な環境の下で乳幼児期の私は、風邪をこじらせては肺炎に、また、高熱を出しては熱性ケイレンを起こす虚弱体質。

 その後成人に達しても胃腸は弱く、体型は細めでいつもうつむき加減の姿、俗に言う猫背でした。腕立て伏せも腹筋も弱いと自覚しながらも敢えて、体力を強化しようという意識もなく、運動の楽しさも味わった経験ないまま、今日まできてしまったように思う。

 しかし、20代学校を卒業後望んでいた子供の教育に携わり「この仕事は私の天職!」と自負し情熱を燃やしていたある日、不慮の事故に遭い、子宮全摘を余儀なくされてしまいました。当時の私は大きな衝撃に打ちのめされ生きるすべもない程悩みました。

 その後私には次々と押し寄せる更年期障害のような症状に悩まされ、病院を転々10年間処方された薬は沢山飲み続けました。
 
 しかしこれといった治療の甲斐もみられず、年を増すごとに健康不安が恐怖心へと移り、50代後半に至ると軽い脳梗塞や甲状腺機能低下症、耳鳴りや冷え等の症状に。「私の体はどうしてこんなに優れないのだろう?」と体調ばかりが気になってしまいました。

 やがて、両親の介護や看病が必要な時期に入り、私も両親の為にと介護の世界に明け暮れました。やがて実父も他界し、ふっと力が抜けた時もう高齢期に突入し、老いを感じる体になってしまっていました。

 足元はおぼつかず、ちょっとした段差につまずき、階段はトントンと登り降りすることも苦痛に。背筋は張りとコチコチに凝り、時には全身に痛みが走りました。
 
 手術以降続いていた低体温症はよりひどくなり、夏でもゾクゾク寒く、起床時ベッドから立ち上がり歩くこともスムーズに出来なくなりました。常に気分は優れず憂うつな毎日でしたが、私は40代の手術以降、医師や医療に対して強い不信感を持ち「こんな辛い思い等、誰にもわかってもらえない...」と頑なになっていました。

 しかし痛みは日増しに強くなり、医師の診察を受けるしかなくなり仕方なく受診しました。そして血液検査をはじめ様々な検査結果、医師のくだした診断は、長い間のストレスと老化現象ですと言われました。

 そして改善策は、薬でなくまずは運動とストレッチ、筋ばった筋肉をほぐすには、お風呂でゆっくり体を温めることも大切な事と、そして体力もつけなさいとのアドバイスを受けました。(線維筋痛症らしい)
 
 私は、子供時代から余り運動した経験もなく(病弱の為過保護、学校では体育の見学)どんな運動をしたらよいか戸惑っていた矢先、目に飛び込んできたのは、新聞の折り込み"カーブス"のチラシでした。

 そのチラシを見ながら「私のような運動嫌いの老女が果たして痛みの軽減が出来るはずあるの?でも今の体の状態を考えると介護されるホームか病院へ、でもそれも嫌だ‼」と泣くに泣けない心の闇と、もしかするとかすかな光がとすがる思いで、カーブスに入会しました。

 3ヶ月目の測定時、測定値を眺めた私は体年齢68歳の記載に「これ間違っている!私75歳ですよ」でもウエストも細くなってきた。友は随分元気に...若くなったみたい。遠方の友は「何かいいことあったの?声が明るくなったね」と言われ、疑い深い私も"まんざらでもないわ"と思いました。

 やがてカーブス通いも定着し、コーチの先生方のアドバイスにも耳を傾けられるようになりました。私のような引っ込み思案の者にも、その時々の様子をよく見て、温かくアドバイスを。

 機械の動かし方に戸惑う時又姿勢の傾きをすばやくみつけ「首をあげて、正面を向いて、肩の力を抜いて」等々耳元で声を掛け、励ましや見守りをして下さいました。
 
 カーブスでの運動と月ごとの目標や掲示された様々な健康知識を学んでいくうちに、嬉しい奇跡かと思う出来事がありました。

 それは、入会半年過ぎの9月、いつものように愛犬と朝の散歩中「うぁ!今日の空はなんってきれいなんだろう!雲ひとつない、太陽もキラキラ光っている!この青空どこまで続いているのだろう。真っ青で澄みきっているなぁ」とじーと大空を眺めたり、あたりをきょろきょろと自然の素晴らしさに「筑波山も紺色に染まりなんと美しい風景なのだろう。絵に書きたいわ!」とつぶやきながら顔をあげた後に首をそり、首を左右に動かしました。

 でも首の痛みもないし、ゴリゴリと音もなく大空を思う存分眺めていました。何気なく足元を見た私は「これって夢みたい!別人みたいよ。いつもの私だったら、天上顔をする時は、アゴの下に手を置いてそぅーと天上を見るのよ...この仕草は子供の頃からの定番よ!不思議なこともあるんだなぁ?そう言えばお母さんは、貴方の猫背は伯父さんにソックリ!あの伯父さんも肺病だったから...と意地悪げに言ったことあったっけ。

 でも今日の私は、しっかりと両足を大地に踏みしめ立っていたのでした。その自分の姿に思わず涙がどっと溢れました。「私は本当に猫背でないんだ」と威張った格好をしてみました。

 以前整形外科の先生に診察を受けた時、「骨格の異常はありません。なにを背負っていたんですか」とほほえみながら言って下さったっけ。

 その時々整形外科医の先生の話を母親にしたらすかさず「それは大きなランドセル」と真剣な表情で言った母親の顔が浮かび"うーん"とうなってしまいました。

 この一年私にとっては、嬉しいことの連続でした。歩行することにも不安でしたが、ゆっくりと4000歩位はスムーズに永年抱えていた低体温症も36.4まで上昇し、体はポカポカして半袖も着られ、気分も爽快に又浅い呼吸で息苦しさもなく深く呼吸、緊張感も薄れました。きっと姿勢がよくなったせいだろうと思いました。それに突然の夜間の左太もものケイレンもなくなり、枕元に置いた漢方薬も手放せました。便秘も頻尿も疲れたの口癖もなくなりました。
 
 もっと大きな驚きは、30年間(手術後)潜んでいた下腹部から太ももの付け根、お尻附近(仙骨)の冷たくて硬い違和感のある帯状の太い線は"あっ"という間に運動で消えました。当たり前のように足が前に右、左と出ることが嬉しい私。 
 冷たく痛い症状が消え、魔法のような出来事に!(股関節のズレ?)改めていくつになっても運動することは大事なんだなぁ、筋肉や骨ばかりでなく心も体も鍛えられることを体験しました。
 
 この一年間本当にお世話になりました。
 私はカーブスの女性の体操教育の素晴らしさに感動しました。ありがとうございました。
 
 2023年は、永年乗り越えられなかった猫背、そして強い耳鳴りとさよならしたいと切に願っています。今年もよろしくご指導お願い致します。