コロナ禍三年目のこの一年、あっという間に月日が過ぎていった。この一年で私には孫が二人増えて、四人の孫のおばあちゃんになった。念願の内孫が六月に生まれ、私の生活が大きく変化した。
 お嫁さんの産休中は、毎日散歩につき合う日々。出産準備の買物へ一緒に出かけたり、楽しく過していた。しかし、不安もあった。それは、腰に爆弾をかかえているからだ。
 数年前から「腰椎すべり症」と診断され治療している。発症当初は足がつけないほどの痛みがあった。左の足の付け根(お尻)の部分が痛く、歩くと激痛が走った。整形外科に通院し、痛み止めを飲み、電気治療を行っていた。しかし、完治するものでない。
 
 このまま私は歩けなくなってしまうのか?
 孫と遊ぶことができるのだろうか?
 孫の子守りができるのだろうか?
 仕事を続けていけるのだろうか?
 
 様々な不安がいつも心のどこかにあり、ふさぎがちになった。カーブスへ行くのをお休みしようかな、と思うこともあった。そんな自分が嫌になった。
 しかし、十年間カーブスへ通っている私。我が家の中でも生活の一部となっているので、息子やお嫁さんが、「お母さん、今日はカーブス行った?」と声をかけてくれた。
 
 家族と出かける時、みんなで一緒に出かけ、私はカーブス、家族はイオンで買物。そんな優しい協力もあって、週に三日、もしくは四日通うことができた。そんな甲斐あって、今は、薬とカーブスで、持病を悪化させることなく生活できている。
 毎日飲み続けていた痛み止めは時々になり、電気治療に通わなくて大丈夫になったのは、カーブスでの筋トレのおかげだと思っている。
 
 昨年六月に待望の内孫が生まれた。コロナ禍での出産で、立合い・面会はできなかった。お嫁さんは、里帰り出産を諦め、産後もしばらくは帰らなかった。息子の仕事は、夜勤もあり勤務時間も長い。
 そのため、私が一緒に育児をした。赤ちゃんが泣いたら抱いてあやす、沐浴の手伝いをする、オムツを替えるなど、久々の育児に新鮮さを感じ、生活に張りが出た。
 早朝六時から九時の仕事と普通の家事全般をこなしながらで、時間に追われる毎日。睡眠時間は約三時間ほどになってしまった。そんな様子を見ていた友達やカーブスのコーチ達は心配してくれたが、私は腰痛が悪化することなく日常生活を送ることができた。
 
 コーチ達は、「十年間続けて筋トレを続けてきたからだよ。」と口を揃えて言ってくれた。自分では気づかなかったが、色々思い起こすとそうなのだろう、と思った。同年代の友達で、「肩が痛い。」「腰が痛い。」と言っている人が多くいる。
 この忙しさの中で、私がこうして動き回れることは、筋トレのおかげ。筋トレをしていなかったらダウンしてるはず。気が張っているだけでは到底無理だと思う。
 
 昨年八月頃のこと。産後一ヶ月半を過ぎたお嫁さんは、妊娠中十五キロほど増えた体重がなかなか減らず、お腹周りもサイズが戻らず悩んでいた。産後間もないから大丈夫だと思っていたが、本人にしてみれば大問題。
 「仕事復期する四月までに、どうしても、妊娠前に履いていたズボンが履けるようになりたい。」と常々言っていた。また、体力がなくなり腹筋もなくなったそうだ。私も二十年以上前に子供を産んだ後、同じような事を思っていたことを思い出した。
 
 何か助けてあげたい、そう思っていた時、カーブスの一週間無料体験のポスターを見た。「あっ、これだ。」と思った私は、すぐお嫁さんに話をした。カーブスに通っている私の姿を見ているお嫁さんは、何のためらいもなく無料体験に行くことに喜んでくれた。そして、息子も賛成してくれた。
 
 体験時、計測と体力テストをしたお嫁さんはショックを受けた。今の自分の体のサイズと腹筋が0回などなど、実年令二十五才より十才も多い三十五才という現状を突き付けられたのだ。それで、とりあえず九月から年末まで通うことになった。
 お嫁さんと私は、赤ちゃんがいるので交代で筋トレすることに。息子が休みの時は、子守りをしてもらい、二人で一緒に筋トレ。私とお嫁さん、息子と赤ちゃんの四人一緒にカーブスへ向う、というスタイル。
 
 カーブスに通い始めたお嫁さんは、「めちゃくちゃ汗かきました!」「水五〇〇ミリ全部飲みました!」「ちょっとズボンがゆるくなりました!」と私に嬉しそうに話してくれた。私も見ていて、半月ぐらいしか経ってないけど、体が引き締ったように見え嬉しく思った。
 お嫁さんがカーブスに通うようになり、我が家の食卓も変わった。カーブスのタンパク質のレシピを参考にして作るようになった。家族みんなで、タンパク質の点数を意識するようになった。
 
 また、一緒にワークアウトをし、お嫁さんが楽しそうにマシンを動かしている姿、コーチやメンバーさんと笑顔で話している姿を見て、私も楽しく筋トレをすることができた。
 まさかお嫁さんと一緒にカーブスに通うなんて思ってもみなかった。共通の話題、目標があることで、こんなにも日々楽しくなるなんて思ってもみなかった。
 
 一ヶ月、二ヶ月が過ぎて、体が引き締まり体重も減り、体も疲れにくくなったそうだ。当初、カーブスに通うのは年内いっぱい、という予定だった。しかし、成果が出てきたので続けたくなってきたお嫁さんだった。仕事復帰するまで、いや、一年間は続けたい、と、どんどん欲が出てきたお嫁さん。
 私は、どうにか続けさせてあげたい。嬉しそうに楽しそうにしている姿を見て応援したくなった。
 
 そんな中、お嫁さんの職場が人手不足となり、仕事復帰が二ヶ月も早まり、二月から働くことになった。カーブスを続けたいお嫁さんと、続けさせてあげたい私。二人で予定を相談し、カレンダーにカーブスへ行ける日に印を付けた。
 
 続けていけるかどうか不安の中で仕事復帰したが、現実は厳しかった。赤ちゃんはまだ七ヶ月。赤ちゃんの仕度をして出勤し、夕方六時頃に帰宅し、赤ちゃんにごはんを食べさせお風呂に入れて...残業することもあり、クタクタに疲れて帰って来る姿を見て、続けていくことは無理だな、と感じた。本人も同じように思っていた。
 
 筋トレを続けることはとても良いことだけど、無理をしてはいけない。今は子育ての時期。筋トレの大切さを知ることができ、成果が出て、身をもって知ることができたことで十分。子育てが落ち着いてからまた始めれば良いのだと思う。このことをお嫁さんに伝えた。
 お嫁さんも、肩の力が抜けたようで一度辞めてお休みすることにした。
 
 今、お嫁さんと通えなくなったけど、「最近カーブス行けてる?」と心配して聞いてくれるお嫁さん。うれしい一言である。
 大切な家族が健康で笑顔であることが何よりの宝物であり、私の生きる糧となる。私が筋トレを続けている姿を見て、大切な人に筋トレの大切さを伝えられたことで元気になれたことも宝物だ。日常生活を普通に過せることに感謝。孫を抱くことができることに感謝。笑顔になれることに感謝。ありがとうカーブス。

(追伸)
 今回はエッセイを書けないかもしれないと思っていた。なぜなら、私事であるが、家の建替えのため、引越しをするので、家の片づけに追われる日々。家事と孫の子守りなど腰を下ろす暇もない。
 しかし、エッセイを書き続けることは私の目標であり、元気の源なので、何としても書きたかった。このことをAコーチに相談した。Aコーチは、「その気持ちだけで十分。無理しなくて良いよ。」と言ってくれた。
 
 私は相談したことによって、どんどん書きたいこと、伝えたい言葉が湧き上がってきた。
 上手く伝えられたかどうかわからないけど、今の想いを、湧き上がってきたままに書いた。
 人と関かわることからも遠ざかっていたこともあったが、ちょっとしたきっかけで心を許すことのできる大切な人とカーブスで出会うこともできた。まさか、この年で大切な友達ができるとは思わなかった。
 この出会いは、次回のエッセイで書けたらと思う。
 次から次へと想いがあふれ、書ききれなく、追伸として書いたことすみません。