無い!無い!どこにも無い!もう泣きそうになって彼方此方探す。あっ、もしかすると...そう思って教室へ電話を入れる。
ルルルル... ルルルル... まもなく耳に、聞き覚えのあるSコーチの声、「孝子さん、どうなさいましたか?」の問いに、私はもつれるように、「あっSコーチですね。すみません、昨日、私のカード置き忘れてなかったでしょうか。」 半ば答えに期待を持っていたのに、しばらくして、他のスタッフにも聞いて下さるのを待っていたが、答えはどなたも同じ、閉店時には、何の忘れ物もなかったという。ありがとうございましたと、電話を切ろうとした私に、「孝子さん 新しいカードをお持ちください。」とSコーチ。探して、どうしても見つからなければ、そうしてくださいと親切に言って下さり電話を切る。後になってこの時の私のことを、あの強い孝子さんが、あのようにショゲてオロオロして電話してきたのにビックリと話して下さり苦笑したのを思い出す。
ありました!メンバーカード、来店カード、スタンプカード、カーブスプリンセスのチャレンジカードを、ビニールの袋に入れ、その全てを チャック付きのストック袋に入れて、シューズ、タオル、水のボトルを入れて通うバックのポケットに 後生大事にしまって、カーブスの教室に通っていた。
そうでした。あの日、もう暑くなりかけて、冬のバックと夏物のデニムのショルダーバックに変えようとして、何の躊躇いもなく、カード一式を、カーブスに通うバックではなくて、変えるショルダーのバックの方に仕舞い込んだので、もしかしたらもしかしたらと探して、戸棚の奥から、しまったばかりのバックの中から、カードがみつかった時の安堵感はなかった。よかった!ヤッタッーという思いだった。不覚にも涙が出る。
来店カードには、人一倍の思い入れがある。
私が入店したのは、ここ、イオン店に開所になった十カ月後であった。四〇〇台の番号カードを受けとる。運動不足解消と仲間が欲しくて、正直、三十分程度の、私としては、ゆるーい運動では、ちょっと物足りなさがあるなあと思っていたが、キチンとされているカリキュラム、訓練されているコーチ達のアドバイスのお陰で楽しく通えるようになった。
通う楽しみが、来店カードに捺されるスタンプである。まあ、週三日ぐらいの通店がベストというが、私の平均値は、一・二に一回通うくらいに、せっせと通った子供のように、カードが、青いスタンプで埋まっていくのがあたり前になって、なんだか嬉しかった。
来店カードが日記のようになる、小さなカードを開けると私の足跡、自分のカードだから当り前だが、ビッシリと書き込み。ありがたいことに、少し習った速記の、基本文字での書き込みがしてある。初代店長のSさんは、フラメンコを踊った。日曜日に、○○会館にてとの書き込みは、この店長さんの発表会を観覧させていただいた時で、その一週間後には、私の大正琴の発表会へも、足を運んで下さった。きれいなブーケをいただいた。
この素敵な店長は、結婚後数年たって、待望のお子さんに恵まれて退職された。その時のカードの下に 喜ぶべき、しかし残念!と記されていた。○月○日、県でも有名な、体育系の学校を卒業されたというTコーチ。まっ黒な顔で、ずっと走ってましたと言う。なーる程ね。隣町からの通勤で、電車を降りて十五分程の道を、走ったり歩いて来る。このTコーチの、入店第一日は、春の細い雨が降っていた。赤丸でTコーチの、入店日をかこんだ。三日後にカーブスプリンセスなるものが始まり、当時は、下腹回りが減ったとか、体重がどうのとかの計測で、何度かプリンセス賞を受けたが、今ではどうでもいいかなと思うことも、私の書き込みでカードはまっ黒になる。三ヶ月続きだから、年間四枚、通し番号も四十台になる。カードが束になった。
三日の空ランは、地方へのコンサートで来店できず、あの大震災の金曜日にも、夕方カーブスへは行った。平成の二十六年の二月の大雪の日、歩いて、コーチにも会えないドアの外で、一時間後にメモを残して立ち去ったのは私です。
そんな思いの沢山つまったカード一切を思いもかけない未曽有の大火で、一晩にして焼火しました。かわいい盛りの孫が焼死し、無一物となる全焼の中、たった一個の携帯電話を握りしめて、私は呆然と立っていました。大火傷の息子、腰の骨が、二階から飛び降りる際砕けた上の孫。もう地獄図でした。何故か、着の身着のままの私が、たった一人無キズで、その後、どんなにか動きまわったか、言葉にすることができません。
人間って強い。途方に暮れ、どうにか一人暮らしが始まったのが、思いもしなかった十階建の団地の八階に落ち着いた。しかし、そこでの一人暮らし、淋しさ、侘しさ、せつなさは言うに耐えずの毎日であった。娘や息子達も自分達の生活があり、お母さんは、自分の体の健康だけに気をつけてネといわれた。
私を知っていて下さる方達、沢山の趣味のお仲間コーラス仲間、大正琴の仲 間、生徒さん達自治会でのサークルの方達が、大丈夫、貴方は絶対戻って来る。元に戻って来られると云って下さった。そうか!忌わしいあの日から二ヶ月三ヶ月と過ぎていた。後の処理でかけずりまわった日々を送っていた。日本一という暑い日も、クーラーの無い部屋で元気でいた、元に戻りたい、近づきたい、孫の夢ばかり探して追った。筋力がぐーんと落ちた。足にも肌にも張りが無い!どうしたことだ
ありがたいことに、ここの建物にエレベーターがあるが、夜の八時を過ぎると、若い住人の勤務帰りの方が昇降するだけで静かである。よし、それだったらやってやる。お嫁さんに買ってもらった、アディダスのスニーカーに穿き替えて、夜の階段の上り降りを始めた。
十階迄を、何度となく往復した。半分に切れて、足踏みできる箇所で、時に、足をのばしたり打たいたりして 百段以上を行ったり帰ったりした。失敗や挫折を、きっと乗り切れると思った。多分、私の性格を知る人が、絶対戻ってこられるよといってくれたのは、このことだったかもしれない。秋に入った頃カーブスに復帰できた。月の最初、筋力チェックの計測の日であった。何ヶ月ぶりかの計測に、「孝子さん、様子をみて止めにしておきますか?」とSコーチ。やりますと私。
椅子からの片足立ち、できましたネ、右足二十五回、左も同じ、腹筋も二十回の上、腕でぐーんと押す力もなんとなく素晴らしいとコーチの声、そして、もっとビックリ!Sコーチの"ブッチ切りデス!"だった。いつもおもしろい言葉で笑わせてくれるコーチであったが、「孝子さん、体力チェック、二十代前半です。」とカードに書き込んでくれた。六カ月後に復帰したカーブスでの結果であった。そのカードを失ったのだものオロオロしない筈がない。少し遅れて、プラチナカードをいただいて、相も変らずに、せっせといろいろ記入がある。大事な大切な宝物、いつしか一緒に生きる相棒なのです。苦しかった時、喜んだ日泣いた時、成果を共有したカードです。