59才で小学校教諭を辞めた後、コロナ禍が本格的におそった。旅行に行ったりして10才年上の主人との生活を楽しむはずが、自粛生活となった。通っていたヨサコイも忙しかった百人一首の教室もなくなった。家の近くの施設にパートで勤めているうちに、前から悪かった右足がどんどん痛みを増してきた。初めは膝が痛むのかと思って近所の病院に通って膝に注射を打ってもらっていたが、そのうち悪いのが股関節だと言うことが分かってきた。そんなとき、職場のパート仲間の人の紹介もあり、10月20日、カーブスの無料体験に参加することにした。かなり悪いことは分かってはいたが、体力測定の結果は70才ということだった。ちょっと前までなわとびもびゅんびゅん跳べたし、地元のマラソン大会では親子で6位に入ったこともある、一輪車だって乗れたし、ヨサコイでは中堅ダンサーとして頑張ってきた私のショックは大きかった。1日30分だけでも運動できればと、即日入会を決めた。
その年は大雪で、けがで入院していた夫に代わって必死に雪かきを頑張った。あれよあれよという間に左の股関節も悪くなり、杖にすがってやっと歩いている私に、知り合いは言葉を失っていた。痛みをこらえながら、週4日はカーブスに通った。できないマシンがいくつもあってもコーチはみんな優しく、移動の遅い私を気遣って、どのコーチも必ず私の後ろはいつも1人分空けてくれた。会員のみんなも、あたたかく見守ってくれた。新年の抱負、「全部のマシンができるようになりたい」と書いた紙が天井に貼ってあった。
7月に隣町の病院で右股関節の手術を行なった。初めての手術・リハビリ・4人部屋生活は、主人に頼り切っていた。コロナで面会こそできなかったが、洗濯物から読みたい本まで、しょっちゅう持ってきてもらっていた。暑い夏の間、庭の野菜への水やりや収穫・草むしりもしてもらい、今考えると、本当に幸せな入院だった。私が入院中、主人は少しやせたようだった。右が思いの外よくなったので、私は11月に左の股関節を手術する予約をした。
私が退院してから、主人はめんどうくさがってあまり動かなくなった。入院中気を張っていたからだと2人とも気にしなかった。しかし、お盆明けに打った新型コロナワクチンの服反応が2週間以上続き、収まったと思ったら今度は腰の痛みが始まった。その痛みは膵臓がんからくる痛みだった。血液のマーカー値は高く、もう肝臓にも転移しているという。10月27日の診断だった。入院したら、コロナで面会できないのだから、もう死ぬまで誰にも会えないかも知れない。治療は今のところ投薬だけなので、家で様子を見ることに私たちは決めた。余命は3ヶ月から6ヶ月、治療は投薬のみ、放射線治療は困難。県立病院での見立ても同じだった。11月4日の診察について行き、先生に私の手術は先延ばしした方がいいか聞いた。先生は、「それは別問題。奥さんの手術は早くしたほうがいい。」と言って下さった。主人も同じ意見だった。早く手術をして、早くよくなって帰ってこいと。
すでに心不全の持病を持つ主人の癌の治療は、投薬を2週間続け、2週間休むというものだった。食欲が落ち、動くと息がつらいらしく主人は2週間でげっそりやせた。もしかしたら、私が入院している間に死んでしまうかも知れないとも思った。こんな主人を置いて入院する私は決意した。1ヶ月病院で過ごし、しっかり足を治そうと。荷物の中にはカーブスのプロティンとシェイカーを入れた。食事がうまくとれなくても筋肉は落としたくなかったからだ。(病院で、足が不自由な私には、シェイカーは、ほかの飲み物を飲むときにも大変役に立った。)
準備をしながらも、私はつらかった。こんな夫をおいて自分が入院していいのかと自分を責め続けていた。何も考えずにカーブスで運動する時間が、私には何より楽しかった。そんなある日の夕方、カーブスでよくお見かけするKさんの会話が、ふと耳に入った。
「主人はもう亡くなっているの。私もいろいろあったのよ。」
元々きれいな方だが、いつも身ぎれいでかっこいいなあと思ってあこがれていたKさん。きっと幸せなすてきな家の奥様で、何の心配もない暮らしをなさっていらっしゃるんだろうなと勝手に思っていた。つらいことがあっても明るい顔でみんな30分の運動を楽しんでいる。メンバーさんもそうだし、コーチもそうだ。毎日同じようなワークアウトの繰り返しに見えて、実は一期一会の時間なのだ。わけもなく感動した私は、入院の前日までせっせとカーブスに通った。前日には、
「入院頑張って下さいね。」
と、全員のコーチが店を出る私に声をかけてくれて、もうすでに日が落ちて真っ暗な駐車場で、私は嬉しくて、そして不安で、ぽろぽろと涙をこぼした。
2回目の手術ということもあり、入院生活はわりと順調だった。麻酔の吐き気が止まると、すぐに歩行器をもらい、リハビリ室に通った。前回の入院とリハビリの先生も同じで、スタッフの方も「お帰り」という感じで温かく迎えてもらった。カーブスのおかげで腹圧を入れるのがうまくなっているのを感じた。1日2回のリハビリに加え、暇な時間には手すりを使った自主トレも行なった。夫の姉が横浜から来てくれ、夫の世話をしてくれた。
退院の日、1ヶ月ぶりに会う夫は、もうすっかり病人だった。1日のほとんどを布団の中で過ごしていた。当たり前のことが体力的にできなくなっていた。食事の好みも大きく変わり、ミカンばかり食べるようになっていた。病院に行くにも付き添いが必要で、トイレ以外はずっと寝ている生活だった。
退院して2日目からカーブスに通い始めた。嬉しかったのは、入店するときの消毒の足踏み機械が踏めるようになっていたこと。運動していて、さっと給水にいけたこと。(今までは足が痛くて給水はほとんどしていなかった。)1月からはワークアウトで後ろに1人分空けなくてもよくなり、全部のマシンをこなせるようになった。「全部のマシンができるようになりたい」と、去年1年間カーブスの天井に貼ってあった私の夢をかなえることができた。年末から雪が降り、何回も雪かきが必要だったが、カーブスで筋トレしているおかげで、私1人で頑張ることができた。リハビリには週1回通っているが、「よく頑張っていますね。」と言われる。職場まで歩いて通えるようになり、だんだん速く歩けるようになってきた。
夢だった猫も飼うことになった。猫との生活は楽しい。コロナ禍が終わったら、雪も溶けて春が来る。パートに加え趣味の短歌や百人一首も再開される。大好だった山登りも、山歩きから始めよう。庭仕事も忙しくなりそうだ。夫の病気はこれからも一進一退だろうけれど、カーブスに通うことで気持を明るくし、これからも頑張っていこうと思う。