二〇〇五年 一月始め頃自分自身の体調がおかしくなって行くのがわかりました。肩凝りがひどく脇下も痛くなり、朝起床時には覚醒はするけど、身体が硬直して指先からゆっくり動かさないと動けない状態になりました。
子供達は大きくなりそれぞれ独立してやっと好きな仕事につき、毎日が楽しかった。こんなにパン作りが楽しくて面白いものだとは全く思わず日々まだ立ち上げたばかりの店で休みも取らず頑張っていました。
しかし、思いがけず短い間にお店が倒産してしまいました。
私はショックのあまりある相談機関に行き話を聞いてもらっている間に涙がとまりませんでした。相談員の方はただ泣く私によりそって見守ってくれてたように思えました。これから先の事とかも色々話をし助言して頂きました。
その後の私は労働基準局、市役所、安定所と家から12km位の場所に運動と称し歩いて行きました。無知でずいぶん損をしていた事にも気づきました。
これを期に勉強をしようとしてた矢先の、全身硬直状態。整体に行ったり自分家で入浴後マッサージ師を呼んでもんでもらったり、しかしなんの改善も見られず病院に行きました。
自分の症状をくわしく言い検査をしましたが結果は何でもないとの事で痛み止めの薬だけ出されました。確かにその薬は一錠飲むだけで痛みが軽減しましたが二度目の診察で大きな病院に紹介状を出されました。
とても、とても嫌な予感がしました。その予感は的中、私は全身性リューマチとの判断でした。その病気の事よりショックだったのは先生の言葉、「この病気は一生直らないから自分をコントロールして軽い運動とストレスをためないように...」と目の前が真っ暗になりました。
家に帰宅するまで先生の言葉が頭内で一生直らない...直らない、死んだ方がましだと思いました。救いは、昔と違って現在のリューマチの治療法は強い薬で関節破壊を先に抑制するとの事でした。
私は仕事をする為に今までとは全く違ったものにしようと、リューマチ発症と同時に、相談員の方が話してくれたヘルパー資格を取る事を決心しました。その為には原稿三枚に小論文を書きました。
それが通り雇用保険を利用して三ヶ月の間、毎日学校に行く事になりました。弁当と教材をリュックにつめ電車とバスで通いました。そこでリューマチの事も知り安心しました。ヘルパー資格、続きでガイドヘルパーも修得致しました。四ヶ月近くの学生生活は私にとって一生の楽しい思い出となりました。
間もなく立ち上げ間のないグループホームに入社、始めての経験でとまどいながらも一ヶ月もすると慣れ、楽しく思えた、その時に、再びあの全身が動かない症状に襲われました。面接の時には言わなかった病気の事を、言わざるをえなくなりその日の仕事を休む為に管理者には本当の事を言いました。とてもつらかった気憶があります。
管理者はゆっくりやって行きましょう。
と言ってくれました。
介護の世界に入り半年も過ぎた頃にある情報誌にカーブスの事が紹介されてました。縁があったのだと思います。職場の友になった人と一緒に行ってみようかと言う事になり即カーブス八山田に電話をいれ予約を取りました。
八山田は私には通いやすい場所会社→カーブス→家と一本道で通える所。
カーブスの第一印象はスタッフの方々の、美しい笑顔とスマートな体形、一目惚れでした。
一回体験で入会、一周サーキットをやっただけ、そしてストレッチで結構スッキリしました。
入会後にはほぼ毎日通いました。
一年程続けているうちに何とリューマチの関節破壊の数値が小さくなり強い薬も飲まなくなりリューマチ、一生直らないと言う診談が嘘の様でした。
二〇〇七年五月に入会して二〇一三年、目の手術とかしたり東日本震災の喪失感、心に風が吹くと...何もする気がおきず退会しました。
仕事だけ没頭し壊れた家の修理、約二年近くなってましたが、カーブススタッフの皆様の年賀状、暑中見舞いのハガキが届く度に、逢いたいなと思う気持ちが出てきました。生活もおちついてきてたのかと思います。
震災後、要介護になった母の為にも体力をつけなくてはとの思いもあり勇気を出し電話、退会して二年にもなるのに私を忘れず覚えていてくれた店長、私の再入会は決定的でした。
二〇十五年四月再入会、家→カーブス→仕事の生活が始まりました。リューマチが完治したのではないのはわかっています身体が疲れるとやはり痛みます。
でも、コロナ禍でも多少身体が痛くてもカーブスには通い続けています。二、三日身体を動かさないと堅くなります。だから私は、これから先もずっとカーブスには通い続けます。
そして回りの人にも言い伝え、カーブス紹介したり私のお隣りの方も膝が痛くてと言っていたので一年前からカーブスの話をしていましたが今年入会になり、カーブスに行く様になり膝はまだ痛いが他の部分が調子が良いと話してます。心から良かったと思います。
カーブススタッフの皆様にはいつも気むずかしい私に優しく接してくれ心より感謝です。再入会して現在まで七年で一一二六回、頑張ってるつもりはないけれど私の生活の一部となってる事は確かです。
動ける限りは続けて行きます。カーブスのスタッフ様、これからもご指導宜しくお願いします。
入賞
「わたしとカーブスの出会い」
カーブスって
どんな運動?
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