股関節の痛みをカーブスで克服して夢を叶えたという2019年のエッセイを読んで勇気をもらいました。大丈夫!私も治る!元に戻れる!...でも現実は、厳しいものでした。
カーブス姫子店がオープンと同時に私は入会しました。女性だけという気遣いなく通えるところが気に入り今年で16年目になります。主人の親と同居の中、忙しい商売を切り盛りする私は子育て真最中でした。そんな日々の中、カーブスの30分が唯一の大切な時間になっていたのです。友人や大切な仲間を誘い、健康維持のため毎日通える事が幸せでした。ところが2年程前から何となく足のつけ根が痛くなり、元気が取り柄だった私が週に3回...2回...と通う回数が減ってしまい、しだいに痛みをかばいながらマシンを動かすようになっていたのです。家族からも無理しないでしばらく休んでみたら?...行きたいのに行けない淋しい不安な毎日を過ごすようになってしまいました。そんな私が、友人や知り合いにカーブスを紹介できるわけがありません。明るく元気に...なんて出来ませんでした。
そんなある日、知り合いの紹介で股関節で有名な先生に診てもらう事になり、予約してレントゲン・CT検査をやり診察室に入りました。まず聞かれた言葉が「今日は何で来ましたか?歩いて来たのですか?」「はい、普通に歩いて来ました。」「え?よく歩いて来れましたね。何か運動してますか?」「はい!カーブスというジムに15年通っています。」「そうですか...だから歩けてるんですね。まわりの筋肉に支えられて歩けてますが、中は末期症状です...手術以外治す方法はありません。このままだと車イスになりますよ。」死の宣告をされたような残酷な言葉に涙が溢れてきました。先生は可哀想に思ったのか「人工股関節にすれば痛みは無くなります。カーブスはとても良いので入院する日まで通って下さい。筋肉を鍛えておかないとリハビリで苦労しますから...」先生の言葉が嬉しくて、カーブスを続けてきて良かった...カーブスのお陰で私は、歩けていたんだ...としみじみ思いました。
元に戻りたい!元気にマシンをやりたい!家族に相談してその日のうちに手術の日を決めました。偶然にも手術の日は私の母の命日でした。大丈夫!母がきっと守ってくれる...そう信じて暮れの忙しい日に手術を迎えました。でも私は簡単に考えていたのです。手術をすればすぐ歩けるようになると...友達や仲間から神様がくれたご褒美だと思ってゆっくり休むと良いよ!そうね、お産以外入院した事ないから少し体を休ませても良いかな...甘い考えでした。手術が終わり麻酔が切れ、目が覚めてからの体中の痛み...体が動かない...腰から下はむくみを防ぐため包帯でグルグル巻かれ...点滴の管がたくさん繋がっているので頭しか動かせない...本当に歩けるように戻れるのかな...ベッドの上でただただ痛み止めに頼りながら不安な夜を過ごしました。
次の日からリハビリの先生が来て歩く練習。足も腰も動かせない...どうしよう...どうしたら良い?ベッドからどうやって降りる?力が入らない!膝が立てられない...気持ちは必死なのに体が動いてくれない...両手で太腿を持ち上げベッドから降ろし、歩行器につかまり、転ばないようにゆっくり一歩ずつ...深呼吸しながら一歩ずつ...少しずつ、少しずつ...足を一歩出す事が難しくて、ひどく落ち込みました。リハビリの先生にたくさん宿題を出されました。午前と午後に腹筋50回、足の上げ下げ50回、歩く練習20分...TVなんて見る余裕はありません。ゆっくり寝る暇もなく、のんびり休むなんてとんでもない...しかし、一日も早く戻りたい私は、一生懸命頑張り、先生に褒められるようになりました。「さすがカーブス15年もやってきただけありますね!!筋力は凄いです。」先生の言葉が励ましとなり更に頑張りました。師走の忙しい現実に毎日リハビリに来るという約束をして、予定より4日早く退院の許可をもらいました。次の日から自分で車を運転して杖をつきながらお店に行きました。つまずかないよう...転ばないよう...家族や孫達に手を貸してもらいながら年越しをして、お正月を迎え、お参りにも行く事ができました。可愛い孫達が常に隣で手を繋ぎ、支えになってくれたのです。お正月が終わりそれぞれ帰る時は、いつもの何倍も何十倍も淋しくて涙が止まりませんでした。でも淋しがってばかりいられません。カーブスが始まるからです。
通える喜びと不安な気持ちを胸にカーブスに行きました。しかし、最初の日で落ち込んでしまいました。まだしゃがむ事ができない私は靴を履く事もままならず、ステップ台でリズムに合わせてステップができず...マシンからステップ台に移る時間もかかり...できないマシンがいくつもありました。思うようにできない自分がみじめで泣きそうになりました。そんな私にスタッフの皆が優しく私の心に寄りそってくれたのです。ゆっくり少しずつ頑張りましょう!無理しないで少しずつ...毎日笑顔で励ましてくれました。1ヶ月も過ぎる頃には杖無しで歩けるようになり、ほとんどのマシンができるようになりました。術後の検診でも、順調に筋肉が戻っていると褒められ、担当のH先生は「カーブスは本当に良いので、ずっと続けて下さいね!でも僕はカーブスのまわし者でも何でも無いですから。」と、笑いながら言ってくれたのです。次第に痛みも無くなり力を入れてマシンができる事が嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。私の頑張ってる姿、皆に見てもらいたい!元気になったよ!手術してもこんなに早く戻れたよ!一緒にやろうよ!!何人もの人達に声をかけ始めました。カーブスの素晴らしさを知って欲しくて、たくさんの人達にカーブスと出会って欲しくて...出会いとは、その人の人生に必要だから神様が出会わせてくれる...と本で読んだ事があります。私の人生にカーブスは必要だったのです。生きていくための道しるべのようにかけがえのない存在になっていたのです。
私はマシンを動かしている時、離れて暮らしている子供達を思います。空手を幼い頃からやってきて高校・大学も空手で進学しました。努力の成果が実り、インターハイ優勝、国体・世界大会と素晴らしい成績を取ってくれ、たくさんの感動をもらいました。今は、空手を仕事にして毎日頑張ってます。そんな子供達に負けないよう、お母さんもカーブス頑張ってるよ!!と心の中で思いながら力を込めて動かしています。
人は毎日が勉強であり成長だと思うのです。何事も全力でやる事が階段を一歩一歩上がっていくように成長できるのだと思います。ゆえに私は30分のカーブスを全力で頑張る事が明日への成長だと信じているのです。ひとつ私にはちっちゃな自慢があります。カーブスにチェックインする時、カードを機械に通すのではなく、指で番号を打ち込みます。皆から「あら凄い。」と言われるのが嬉しくて「そう!ボケない為に覚えてるの。」と毎日打ち込んでます。体が変われば心が変わる、心が変われば毎日が変わる、毎日が変われば人生が変わる...明るく元気に生きていこう!そう思えるカーブスの時間が私の宝物です。きっと明日も誰かに声をかけていることでしょう。
「一緒にやろうよ!楽しいよ!!」と...。
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