今年の冬は10年振りの寒さという。
「寒い中、ありがとうございます。」コーチの声。「私、カーブスに来るの、仕事にしてるからね。」「仕事だったら、給料もらわんとね。」「健康という大きな給料もらってるワ。」
こんなやりとりで新年が始まった。
カーブスへ来ようとしたキッカケは、同居の姑が92才で寝たきりになった。当時はまだヘルパー制度が確立してなく、朝食をしてもらい、オムツを換え職場へ。昼の休憩時に、家へ帰り食事とオムツの交換。そんな生活が半年程続き、やっと特養へ入居できた。100才で姑が逝き、3年後、夫が癌で亡くなった。
姑のような人生は送りたくない。ピンピンコロリといけるものなら、そうありたい。そんな思いをしている時、カーブス中もず店がオープンした。すんなり入会し、ハリのある生活をしていた。
6年前、次男(44才)が脳出血で急死した。嫁と葬儀を出す迄は、気が張りつめていた。納骨の頃から眠れなくなり、好きな読書も気が進まない。妹が電話で「いつもの姉ちゃんと違う。どうしたん?」
その頃の私は死に体だった。医者からの睡眠薬を飲んでも眠れない。一睡もできない。体はフラフラになり入院した。そこには、自分の手首を何回も切りつけた人。教師でうつ病になった人。ハイターを飲もうとして、余りの刺激臭に飲むのを止めた人。年代も病状も様々だった。皆一様に、夜、眠れないという。
何もしないで、薬と食事と入浴をするだけ。ボーッとしていた。二週間位すると、カラオケや調理実習、折り紙教室等文化教室を紹介される。好きな教室へ入り、時間を忘れて取り組む。友人もでき、笑い声が出るようになった。夜、12時になっても眠れない時、ナースから睡眠薬をもらっていたが、その頃になると、食事後の三度の薬だけで眠れるようになった。二ヵ月程で退院した。
私と長男の二人の生活。息子を会社に送り出すと、長い自由時間。どうしたものかと思案している所へ、カーブスから帰って来ませんかというハガキが舞い込む。すぐ行けば良いものを、何ヵ月もボーッとした生活をしていたものだから、腰があがらない。新聞を見てテレビを見ていたら、知らぬ間に昼が来て、知らぬ間に一日が終わる。
ある日、ダイエーへ買物に行った。
「アーラ。サチ子さん。」とコーチが声を掛けてくれる。一年以上も休んでいるのに、私の顔を覚えていてくれた。翌日から通い始める。コーチの明るい声、顔なじみのメンバーもいる。私の行く処、ホームグランドがここにあった。
コロナでマシーンの配置も変わり、ストレッチも縮小されたが、どこの筋肉を鍛えているか意識するようにしている。体脂肪が減り、すぐ寝つけるようになり、風邪もひかなくなった。月、水、金と20人程で1時間ウォーキングをしているが、いつも一番前を歩いている。よく汗をかくようになった。何よりも気持ちが前向きになり、家事をテキパキ片付け、読書三昧の日々を送っている。カーブスは私の仕事と捉えているので、コーチよりもよく出勤している。私の生活の一部になっている。