「パパ、もっと遠くに投げてね。」と、少年。
「オーケー」とパパが応える。
その横で、ママと少年の弟が、間隔を少し短くして、
春の陽射をうけて、薄茶色にもえぎ色を混ぜた草の上で、
キャッチボールを楽しんでいました。
ウォーキングを日課としている私は、「いっぱい楽しんでね」と声をかけたい衝動にかられながらも、無言で、その横を通り過ぎました。
私にも、そんな頃があったなあ、30年前?いや、もっとかな、40年近く前かなと、今の自分を、その当時は想像もしてなかったなあーーーと感傷的になってしまいました。
私は、二歳はなれた、長女と次女に恵まれました。
休日には、キャッチボールをしていた家族のように、夫、娘二人と私、4人で、バドミントンダブルスを楽しんでいました。
「もっと、ラリーを続けようね」とか、「パパをやっつけちゃおう」とか、楽しい会話が続いていました。
その夫が、病に倒れ、二年足らずで、旅立ちました。私が53歳の時でした。
2人の娘は、泣き悲しむ私に、「悲劇のヒロインぶるのは、やめなさい、未亡人はたくさんいますよ」と、喝をいれてくれました。
2人は、数年後に、それぞれ結婚し、私は、一人暮らし生活となりました。
そして、待望の初孫誕生。
その年に、我が家の近く、徒歩五分でいけるところに、カーブスが開店しました。
孫ヘルプは体力勝負、健康が一番と、メンバーになったのが、
カーブスとのお付き合いのスタートです。
マシーンとステップボードを交互に繰り返し、12台のマシーンを2周するのが、一日のエクササイズです。
コーチが、お手本を示して、マシーンの使い方を、丁寧に教えてくださいました。私には、ほどよい運動量でした。なれてくるとスピードアップして、負荷をかけると、体操したなと充実感を得ることができました。
長女、次女にそれぞれ、二人の子供ができ、両方の家に、毎週、孫ヘルプに通いながらカーブスも通いました。
300回ワークアウトTシャツをいただいたときは、二人の娘から、「すごいね。よくがんばってるね」と褒めてもらい、喜んだことを思い出します。
四人の孫たちの成長を支えに、頑張っておりましたが、
今度は長女が乳がんを発症、二年足らずで旅立ってしまいました。
闘病中は、見舞い、看病、長女宅の家事全般をし、
旅立ったのちは、ママ代わりで、二人の孫の世話に明け暮れました。
カーブスは、休会に近い状態でしたが、
「続けましょう。来られるときには、来ましょうね」と、店長、コーチにやさしく励まされて、退会せずに乗り切り、継続することができました。
長女の旅立ちから早七年。孫たちは、それぞれに成長し、ヘルプの要請も少しずつ減りました。
そして現在、このコロナ禍、ヘルプの要請は、ほぼゼロとなり、
カーブスへ自由に、通いたい時に通える状態になり、
通う回数も増えました。
ヘルプする側であった私も、今年、後期高齢者の仲間入りです。
ヘルプされる側になるのは、できるだけ遅くであるようにと願います。
初孫は、今年14歳。ということは、カーブスへ通って、今年で14年。
これからはできる限り、カーブスへ通い、
貯筋、減脂、そしてコーチ、メンバーさんとの語らいで、認知症予防をしながら、2000回ワークアウトを目標に過ごしていきたいと思う毎日です。