母は、59歳の時私と一緒に今の主人の所に嫁ぎました。主人との結婚を私は嫌がったのですが、母は主人を気に入り、主人のお父さんが私を気に入り、何時の間にか勝手に話が進み、住む家のリフォーム迄始まっていました。
それから、あっという間に31年たっていました。何故こんな話をと思われるかもしれませんが、母も年老いデイサービスに通ったり、転倒・骨折・手術にと、介護サービスの量が増えました。今、カーブスに通っている私は、母と一緒に通えなかった事をとても後悔しています。母が、リハビリのある介護サービスを受けていたのです。そこでも、カーブス同様の筋トレマシーンが4台とプールが設置されていました。勿論母は、一生懸命取り組んでいました。負けず嫌いでしたから。そんな時、近隣にカーブスが開所されたと聞きましたが、その時は気にも留めず利用も考えませんでした。
ある日、尻餅をついた時より腰に激痛が走り、痛み止めを貰い何とか生活していたのですが、私の61歳の誕生日の翌日、母の息が止まっていたのです。急いで心肺蘇生を施し、一命を取り留めたのですが、搬送先の病院にて腎不全の診断をされ、キツイ薬を多量に服用する治療が始まりました。食事制限も厳しく薬の効果無ければ、人工透析治療になると言われ母も、味の無い食事を頑張って食べていました。3か月経った時、腎臓機能は回復し後は様子を見ながら薬を減らしていく治療になりましたが、頑張り過ぎたのか精神的に落ち込み、食事が入らなくなり薬の副作用で、合併症を併発して5か月近くの戦いに疲れたのか、旅立ってしまいました。それから1年後、今のミップル宮津店にカーブスが開所され、心身共に疲れ病気の為免疫力も低下していた私は、会員になりました。今年で3年と7か月になります。免疫力もアップして下肢筋力も付き以前よりも歩けるようになりました。その時です、何故母と一緒にカーブスに入会しなかったのか、あの時申し込んでいたら、まだ母は今も元気だったかも。
カーブスに通う度に、母を思い出してしまいます。でも、元気になったからというのではありません、心身共にカーブスで筋肉増強と共に、心もゆとりができ、以前より家庭での笑顔が増えたのです。そんな私ですから、会う人会う人に、カーブスの話をしてしまい大勢の友達から、今出会った人にもカーブスの話をして入会されたり。皆が元気になられるのがとても嬉しくて、きっと母が背中を押してくれていると思います。携帯に両親の写真を入れ、毎日一緒にカーブスは勿論、何処でも一緒に出掛けています。
入賞
「母の愛」
カーブスって
どんな運動?
2021年の他の作品を読む